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「で、やる気が出ないのは解るんだけど」
ここ、ベンゼン環にくっつくの、COOHだけじゃだめだろ。二重結合だとして… と、相棒は補足をメモ用紙に書きながら解説する。
相棒がこう急かすのは珍しい。カリカリと淀みなく続く音に、なんとか圭一郎も顔を上げた。
「たぶんこう直せば大丈夫だから… このレポート、さっさと片付けた方が良いと思う」
と、言い終わると、彼はそっと音を立てず腰を上げた。身振りで圭一郎を押しとどめると、ゆっくりと出入り口の襖に近付いて、ほっ、と一気に開いた。
「あっ」
「おおう」
「ああっ?!」
廊下に蹲る人影から、短い声が上がった。思わず絶句する圭一郎に、相棒はぐるりと廊下を見回して言う。
「タカヒロ、エイジにトオル… ハルもか。ゴメン、待ってた? てか、トオル、息してる?」
「いや、特に待ってない。トオルはほっとけ」
と冷静に答えたのはタカヒロだ。セカンドの守備と同じで、常に沈着な我らがキャプテン。その足下に突っ伏しているのはトオルで、恐らく笑っているに違いない。
「何してんの?!!」
圭一郎としてはとにかく言わずには居られなかった。質問ではない、ほぼクレームだ。
やあ、とエイジがなんともいえない笑顔で言う。
「二人でだいじょうぶかなー、とか… 気になって」
「ああー、もう、ぜんぜんダイジョブじゃん、なんなの。心配して損した。てか、なんかのプレイ?」
フォローしようとするエイジの言を遮って、トオルは寝っ転がったまま嘆く。
「末永く爆発しろ、だな。俺の心労と時間を返せ」
「いや、トオルもタカヒロも、それはちょっと、かわいそうだよ…」
「ざけんな、お前も同じだろうが。笑ってんじゃねえ、エイジ」
「だから心配ないっつったろ」
「ええー、でもマサハルだって止めんかったろ?」
「だって面白そうだったし」
いつから、と口にしてから声にならなかったことに気付き、圭一郎はとうとう叫ぶ。
「いつから居た?!」
エイジがまた、うーん、と少し考える振りをしながら言うには、
「ストレートのあたり?」
「ぜんぶじゃねえか!」
「うん、まあ、ご馳走さま? みたいな?」
「もう腹いっぱい。俺もう寝る。疲れた、ていうか腹筋痛い」
「黙れ!」
とライトとショートを罵倒してから、はっと圭一郎は我に返る。それから急いで相棒のメモを頼りに、出来る限りの速度でレポートを直しにかかった。
一方、右腕と前主将は妙に落ち着いている。
「他のとこは終わったんかな?」
「英語と数学はもうちょっとかかるな。まあれは来週だから」
「そっか」
「でも地味に面倒なのは書道と美術じゃねえかな」
「かもなー。来週やっつけないとなあ」
「あれ、コバは書道だっけ」
クソッ、と口の中で毒づきつつ、圭一郎は自らの直球に劣らない素晴らしいスピードでレポートを完成させると、クリアファイルに入れて立ち上がる。
「マサハル!」
「んー?」
半笑いのイケメン右翼手に三歩半で近付くと、その腕をとる。
「化学室まで、付き合え」
「ええっ、俺!? てか今?」
綺麗な二重まぶたの目を見開くマサハルに、エイジも助け船を出す。
「や、明日の朝でもよくない?」
「締め切り、今日だから!」
圭一郎は頑固に言い切って、マサハルを引きずるように玄関に向かう。
寮と学校は同じブロックなので走ればものの2、3分だが、その間にやることがあった。
それと、そうするうちになんとか、相棒の顔が見られる程度に落ち着かなければならなかった。
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