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賑やかに去って行く左腕たちを他所に、小林穂高は前主将に向き直った。
「で、紅白戦のオーダ、決まった?」
「ああ、各ポジションに振り分けたから、あとは一人ずつ別れて…」
いそいそと、レポート用紙を取り出すタカヒロと、左腕と右翼手の背中を見送っていたエイジも促して自習室に入る。まだ廊下に転がっていたトオルはそのまま水平線移動で畳に寝そべった。
座卓の上に広げられたレポート用紙を覗き込むと、同級生達の名前がポジション別に並んでいる。足りない部分には少しだけ、後輩達の名前もある。
「最後に、俺たちが入ればいいわけだ。あ、ハルは俺とやりたいって言ってたから、居ない方か…」
ふんふんと頷く穂高に、タカヒロは少し言い淀む。
「あー、それがな、ちょっと頼みが…」
「ほらポジションもちょっとずれたりしてるし、そこを考えるとさ」
エイジも慌てて言い募るのに、穂高は「うん?」と首を傾げた。
「もちろん9回全部じゃなくていいから!」
「そうそう、二巡ぐらいでもいいんだけど」
特にタカヒロにしては珍しい歯切れの悪さに、そこで漸く穂高も勘付く。
「ああ、ダブルヘッタ」
「そそそ、ミニゲームで良いから!」
五回くらいで二試合、どうかな? とちょっと必死に言う二人に、思わず穂高は白い歯を見せた。野手の身になればそれはまあ、そうだろう。自分と相方、両方と対戦してみたいというのは打者の本能だ。
「いいよ、やろうか。たぶん、嫌とは言わないだろうし」
誰が、とは言わなくても通じる。ほっとするタカヒロとエイジに首肯しながら、再度メンバーを一瞥した。
「でもウチのメンバー全員とやるのか、うわー、厳しい…」
投手に注目が集まりがちだったが、地方大会では4試合連続コールドゲーム、甲子園では一試合最多二塁打タイ記録、大会最多三塁打にもあと一本、夏大と国体の二冠を達成した打線だ。敵に回せばこれ以上恐ろしいチームはない。ベンチ内外問わず、実力は折り紙付きだ。それを一通り相手にするとなると…
ぞわりとする感触に、しかし思わず穂高は微笑んでいた。
そんな右腕を見ながら、思わずエイジは嘆息する。
「楽しそうだなア…」
「だな。この顔、撮っとこう」
おもむろにスマフォを取り出すタカヒロに、思わず穂高は眉を下げる。
「え、なんで?!」
「お前は知らねえだろうけどな、投げてるときと同じ顔してんぞ」
「だねえ。自分じゃ見えないだろうけど、トオルなんか、投げてるときのコバはゼッタイSだって、」
あれ、そういやトオルは? と皆で寝っ転がるショートに視線をやると、既に寝息を立てていた。
「あ、ホントに寝てる」
「実際、心配してたんだよ、トオル。ほら、この前、ちょっとお前らビミョーだったからさ」
苦笑いするエイジに、穂高はまた少し首を傾けた。
そういえば相方が国際大会から帰って来たあと、三日ほどおかしくなった。ふさぎ込んで、というよりは明らかに挙動不審だったので、何かと思っていたら例の怪我だ。それで穂高としてはすっかり記憶の彼方だったのだが、確かにかつてないほどチームメイトには心配されていた気もする。
「あれは… 柳澤も怪我とかあったし…」
「いやー、あれは90%、ヤナギのせいだろ。エース様はワガママだかんな」
「まあね。コバが悪いとは思わないけど。ってか、むしろその残りの10%がなにか気になる」
「それはコバが鈍いせい」
「ああ、確かに!」
「え、ええっ?」
「お前が甘やかすからだろ」
「ヤナギもコバには”言わなくてもわかれ”ぐらいに思ってるからね」
「…そうかなあ」
相方を、甘やかしているつもりは、ないのだが。
それから紅白戦のチーム分けと打順について真剣に話し始めたタカヒロとエイジを眺めながら、穂高はぽりぽりと頭を掻く。
相方はまごう事なきカリスマだった。
絶大な信頼のもとに彼がマウンドに上がれば、ダイヤモンドの空気はひと息で収束する。しん、と澄みわたるグラウンドの空気に、ベンチにいる穂高でさえ胸が震えた。
しかし本人が完璧主義者でストイックすぎるきらいがあり、正当な自己評価を下せないのが欠点だろう、と穂高は思う。
もう少し、認められていいはずなのだ。誰より自分自身に。
そして、その彼が語ったことで唯一、気になることがあった。
いつも試合は楽しくなかった、と、相方は言った。
ただ決勝は少し、楽しかったと。
二年半でそれだけ?
一緒にやってた二年半でそれだけ、だったとしたら。
「まあいいや、続きは明日、ポジション分けのときな」
打順についての見解が割れていたらしい二人は、実に真剣な面持ちで立ち上がった。
「うん、じゃあオカにはゆっておく」
「頼んだ」
そこで、そういえば、とようやっとエイジが思い出した。
「あの二人、遅いね。すぐ戻って来ると思ってたけど」
「どっかで道草とかしてんじゃね? コンビニとか」
「かも。じゃ、先戻ってるからって伝えて」
エイジと相方は同室だ。わかった、と答えながら、穂高ものんびりと自習室を片付けにかかり、こちらもようやく気付く。
「あれ、トオルはどうすんの?」
「自分で何とかするだろ。ほっとけ」
「うん、ヤナギ達が戻っても起きなかったら放置でいいよ」
けっこう雑な扱いに、ちょっとトオルが気の毒になりつつ、穂高は出て行く二人に手を振った。
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