いちばん

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 どこかの部屋から、笑いとも悲鳴ともつかない声が聞こえた。  追い込まれると妙にテンションが上がるのはナゼだろう、と思いながら、圭一郎はごろりと向きを変えた。  今年は例年になく夏が長引いたので、夏休みの宿題&欠席した授業を補完する課題は膨大な量になり、野球部員は日々悪戦苦闘している。この化学レポートチームも、始めた頃はサードコーチャーのタケちんと四番のリョウタも参加していたが、二人は早々に書き上げて、というか諦めて?残る古典の課題に追われて部屋を移った。また監督と知恵袋を兼ねて付き合ってくれていた部内一のインテリ、ブルペンキャッチャーのエイジは地理チームに駆り出されてしまった。  で、結局、残ったのは相棒だけである。  予想に反してさっさと課題を片付けていた相棒は、まったく必要がないのに付き合っている。  居るだけで役に立たないから、と笑った本人は進んで口にしないが、恐らくそれなりに成績は好いはずだ。特に理数系は苦労していないだろう。というか、頭が良いのだ。訓練的な勉強をほぼやらないでいるから程々なだけで、本気でやればかなりのデキるのではないだろうか? と圭一郎は分析している。  そもそも、相棒はあらゆる能力が高い。  身体能力は抜群で、体力測定は学年でトップ3には入るし(スポーツで名を売るこの学校でだ! バレー部のアタッカーと垂直跳びの記録を競っていたのは横目で見た)特に長距離走が得意だから、学内のマラソン大会では毎年、陸上部の長距離選手とラグビー部のエースと上位争いをしている。それはもちろんプレイでも活きて、バッティングも良いし、実は盗塁も上手い(当たり前だがほとんどやらないけれど)。  本職の野球でももちろんシニアにいた頃から有名で、全国大会でも入賞している。高校入学時に50を超える強豪校から声がかかったというのはおそらく本当だろう。特に大阪の某高校からは、監督直々に熱心に誘われたと聞く。  無論、圭一郎だとて、中学では全国大会優勝投手だ。東日本最激戦区で一、二を争う強豪校の門を叩いたが、その看板をひっさげて当然、高校でもエースだと本人も周囲も思っていた。  しかし、意気揚々と入部してきた圭一郎が、初めて彼を見た瞬間感じたのはたぶん、敗北感だった。  身長は圭一郎とそう変わらないが、当時の彼は細かった。今でこそ筋肉がちゃんとついたけれど、二年半前はひょろっと頼りなく… しかし素晴らしい球を投げる。  今のようなえぐい変化球があったわけではない。だが、ただの速球がカミソリみたいな鋭さでミットに吸い込まれ、圭一郎は反射的に「これは打てない」と思った。  何より、ほとんど古式ゆかしいとさえ云える、ワインドアップの投球フォームが圧倒的に美しかった。  その彼に対して、自分のアドバンテージは左利きだというコトだけだ、と圭一郎は厳しく考えている。  もちろん、投手にとっては負けないことが唯一無二の価値だ。自分たちの場合、体質や指向、得手不得手もほとんど正反対で、優劣をつけられるものでもない。球速などは水ものだし、三振数も付帯情報だとわきまえてはいたが、それでも投手として気になった。エースナンバこそ一度も譲らずに来たが、いつだって相棒の存在を意識せずにはいられなかった。  それは反骨心だったのか、怯えだったのか、嫉妬だったのか。  …憧れだったのか。  とかく才能に恵まれた相棒はまた、多くの天才がそうであるように怠けなかった。たゆまぬ努力を続け、圭一郎の怪我もあって下級生の頃から重要な試合を任されてきた。昨夏など県大会の決勝で21奪三振の新記録を打ち立ている。  27個のアウトを取る野球というゲームで、27分の21だ。  試合後、野手達が恐ろしく暇で余計に緊張した、と笑っていたのを圭一郎は覚えている。結果、一年後のドラフト候補として一躍、彼の名は全国区になった。    そして、そんな彼の経歴に、自分は傷をつけたことがある。  圭一郎は少し顔を上げた。
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