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西和田学園中等部の英香は、朝の9時30分頃、市街地を当てもなく歩いていた。
当てもなく、というのはこの場合には、学校へ登校していないただの言い訳だとも思えるのだが。そして実際はその通りなのだが。
英香の西和田学園の登校時間は8時45分だ。
しかし、英香は何もサボっているわけではない。
西和田学園では、成績の優秀な生徒、年間成績が上位3位内の生徒は、『授業に出なくても構わない』という非常識的な教育方針をとる珍しい学園だ。
よって、3年生の坂東英香は3年連続、年間成績がトップ。つまり中等部の生徒の中では1位の成績を収めているので、校則に従い、こう雨の街を赤い傘をさして歩いているのだ。
数日前までは、朝から他の生徒と同じく、登校し、教室で授業を受けていたのだが、急にそれがどうでも良い事のように思えたのだ。
その理由は、いつか語るとしよう。
なぜなら、
英香の目の前に現れた人物が仁王立ちで、立ち止まり、行く手を塞いでしまっているからだ。
しかも、
英香と同い年くらいのその少年は、まるで服の上からシャワーを浴びたかのように、びしょ濡れだった。
「ねえ、傘ないの?」
英香の心配なんて他所に、少年も英香へ質問してきた。
「イギリスの傘の話知ってる?
あんなに雨を通す傘、日本では、ないよね?ないし、あり得ないよね。
あれでは傘とは呼べないよ。
実はあの傘は、人の皮っていう噂だよ。
今では、ないみたいだけど、昔はそうだったって聞いてる」
少年の見かけない制服のブレザーからは水が滴っていた。
「なに?当然」
他に、言葉が見つからなかった。
そして"トツゼン"という部分を強調させたのは紛れもなく、当然すぎる、どこか迷信じみた雑学に対しての率直な意見だったからだ。
「まあ、嘘だけどね」
英香は、傘を畳んだ。
その刹那、頭上からは大粒の雫が振りかぶってきた。冷たかった。
「どうして、わざわざそんな嘘つくのよ」
「傘ってさあ…」
(聞いてないし。全く聞いてないし。寧ろ聞く気ゼロだし。)
「そもそも嘘つきじゃん」
「は?」
もう目が点である。
(目が点……元々私の目は点でしか無いのだけれど。美容整形するのなら、"先ずは目から"と決めていた程に、コンプレックスだから、それ。)
「だって、雨は"降っている"のに、"降ってない"事にしちゃうじゃん?」
「……」
「雨は降り注いでいて、地面に叩きつける雨音に、それから傘に当たって弾ける雨音だって、本来、人が受けるべく自然現象なわけで、それを[雨に当たらない]という不自然な形をとっただけじゃない」
(ん?なぜ急に、女言葉?)
「そもそも、それが自然な姿形になっているわけで認識されているわけで、なんなら、大雨の中、雨に当たってずぶ濡れになりながらも優雅に歩いている僕なんかは、世間から冷たい目で見られるんだよ?
冷たい雨のにも勝る冷たい視線だよ?
そんなの、可笑しな話じゃない」
英香はじっと少年を見る。
まじまじと。
金髪の髪からも滴る水滴。
額にペッタリとくっついている前髪。
鼻は高く、整った顔立ち。
細い首に、白い肌。
目の色素は薄く、大きな瞳。水滴のせいで泣いて見える。
全体的にスラリとした体つき。
そして、ハスキーな声。
この少年は、いったい何処から来たのだ。
そもそもこの少年は本当に生身の人間なのだろうか。と思うほどに、全てが整いすぎている。
(まあ、でも、確かに。深く納得した、とまではいかなくても納得はした。)
「だけど、傘くん、文明の中で傘が発明されてから新しい傘の型が出てきてないのは、やはり、初めからこういう形が一番合っていたわけで、うまく収まったのだよ。だから、今もこの形でこのスタンスなんだよ。
そういう人類の研究とか努力も交えて、雨の日は、傘をさした方がいいよ」
「人類の進歩?傘が?雨よけが?
人類の進歩?」
少年は、何故だか"人類の進歩"と二回言った。
「うん。ほら昔は大きな葉っぱ使っていたんでしょう?よく絵本のカエルがさしてるやつ。
あれから、形はあまり変わってないんじゃないの」
空からは大粒の涙の贈り物が、ひっきりなしに届いては、地面をふるわせた。
そこら辺を歩く人々の傘も、叩いた。
名前も分からない少年に、『カエルなんて水辺の生き物なのにどうして雨を避ける必要があるの?そんな描写をするから、子供は迷ってしまうんじゃないの?』なんて言われそうで、顔が引き攣る。
だが、その心配は無かった。
無用だった。
傘くんは、スクールバッグに手を突っ込むと、折り畳み傘を出して、そしてバサリと広げてさした。
別れも言わず、名前も言わず、何も言わず、うんともすんとも言わず、歩いて行った。
去っていく姿は、どことなく満足気にみえた。
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