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第十二話 究極の選択
大丈夫のはずだ。
サフィルは自分の血をたっぷりと飲んだ。
ヴァドーの持つ剣なら、一瞬仮死状態にしてから再生がかけられるはずだ。
彼は剣技も優れている。
大丈夫だ。
サフィルは死なない。
言い聞かせながらも、事の成り行きを見守るシューガは、かつてないほど緊張していた。
吸血鬼にとって、互いの血を与えあうことは、無上の愛情表現だった。血を交わし、心を絡め合った時、真実の愛の元に新しい命が生まれる、と伝えられるほど、尊い行為だ。人族にとっては、情交に近いだろうか。
濃密な交わりに酔い、サフィルが眠りについた後、戻ってきたヴァドーは、シューガを小屋から離れたところへ呼び出した。
サフィルの近くでは話せない事柄について、相談したいとのことだった。
小屋から遠く離れた場所で、ヴァドーは忌々しき事態を口にした。
フォルド司祭がなぜサフィルの足取りを掴めたのか。
ヴァドーは謎を解明してきたのだ。
全ての原因は、サフィルの中に居座る黄金の守護獣にあった。
報告を聞きながら、シューガの眉はきつく寄せられていった。
聖女を擁する母体組織は『聖域』と呼ばれている。
遠い昔から異界を繋ぐ門の守護を目的に活動してきた。
人族はとても弱い。
同じく鍵の守護を任されてきたヴェルド・アガネンに比べれば、まるで生まれたての赤子のようだ。
非力な身で、異界の住人達を抑えるのは難しい。
力を補強するために、人族は守護獣という強力な存在を作り出し、聖女に付き従わせていた。
聖獣とも呼ばれる守護獣は、黄金の獅子の姿をしている。
『聖域』の者たちが、どういったいきさつで聖獣を鍵に紐づけしたのかは解らないが、異界の門を開くたびに、聖女の側には必ず黄金の獅子の姿があった。
ヴェルド・アガネンの言によると、聖獣は頑固で厄介な性質をしていたらしい。異界の門の守護を任されながら、聖女の守護獣は異界の住人を毛嫌いしていたようだ。
そのために、一人も漏れることなく必ず異界に送り返してきたようだが――
聖女が身を傷つけられた時、必死に救命にあたるヴェルド・アガネンを、こともあろうに守護獣は邪魔だてしたのだ。
一刻を争う事態における横やりに、ヴェルド・アガネンは激怒した。
激情のあまり、彼は剥き出しの力をそのまま聖獣に向けて放っていた。
貴種の怒りの一撃によって守護獣の肉体は霧散し、弱々しい意識体だけに変わってしまったのだ。
ヴェルド・アガネンに身を滅ぼされた守護獣は、さらなる異界への憎しみをたぎらせたようだ。
意識体と化した守護獣は、本来なら消え去る運命だった。
だが異界への憤怒が力を与えたのか、守護獣は聖女の胎内に宿ったばかりのサフィルの身を依り代とすることで、どうにか消失を免れていた。
それから、ずっと。
知らず知らずのうちに、サフィルは黄金の守護獣の意識体を身の内に秘め続けてきた。本人もあずかり知らないことだった。
守護獣の存在に気付いたのは、ヴァドーだ。
サフィルの中に妙な気配があると。
守護獣はサフィルの生命の力に寄生しながら、細々と命脈を保っていたようだ。
堅物で厄介だと、かつてヴェルドが告げた通りに、サフィルがシューガの同族になると心を決めた時、執拗に邪魔をしてきた。
その挙句、サフィルから、アンリと呼ばれていた頃の記憶をごっそりと奪っていったのだ。
この守護獣は、今も人族の『聖域』と通じ合っていた。
鍵の行方を知りたい聖女の母体組織に、守護獣はサフィルの現状を逐一伝えている。
皮肉なことに、サフィルが吸血鬼一族として目覚めるにつれ内側の力が強まり、よりはっきりと足取りを伝えることが出来るようになったらしいのだ。
フォルド司祭がこちらの動きを掴んでいたのは、『聖域』からの指示があったからだ。
実に忌々しき事態だった。
このままサフィルの内側に守護獣が居座れば、厄介ごとを背負い続けることになる。どこに行こうとこちらの行動が筒抜けだ。
ヴァドーは不機嫌な表情でシューガに告げた。
後顧の憂いを断つには、守護獣を始末するしかないな、シューガ。
彼はすでに心を決めた口調で呟く。
これまでも、再三守護獣をどうするかと、シューガとヴァドーは話し合ってきた。
守護獣は、サフィルの生命力に寄生している。
サフィルが絶命すれば、守護獣は体内に留まることが出来ずに、身から分離する。
それは解っていた。
問題は、サフィルの命を奪うことが不可能だ、ということだった。
話し合っていた時には、まだサフィルは人族だった。
人族の体は極めてもろい。一度心臓に損傷を加えれば、二度と生き返らない。吸血鬼一族とは体の造りが違うのだ。
サフィルが人族である限り、守護獣との分離は出来ない。
そう結論に達していた。
だが、一族に招き入れた今なら、大丈夫ではないかとヴァドーは提案してきた。
それにサフィルはシューガの血をたっぷり飲んでいる。
今はほぼ、純血の一族と変わらないまでに能力が増しているはずだ。
この状態なら心臓を一突きして一度仮死状態にし、黄金の守護獣が抜けた後で再生をかければいい。
そうすれば今後『聖域』の奴らに、こちらの足取りを掴まれることもない。
何より、シューガのアンリも戻ってくる。
ひどく優しい声でヴァドーは呟いた。
その眼差しを見つめていると、ふと疑問がよぎる。
まさかあの時、わざとサフィルを煽るような真似をしたのは、吸血鬼の情念を刺激し、血を飲ませる方向に持って行きたかったからではないのかと。
ふふっとヴァドーは笑う。
サフィルを刺すのは俺がやる。
シューガは大技は得意だが繊細な剣技の技量は怪しいものだ。手元が狂っては大変なことになる。
心臓を突くのは、吸血鬼にとっても致命傷に変わりない。
サフィルを失いたくないだろう。
なら、俺に任せておけ。
嫌な役を、ヴァドーに押し付けることが心苦しい。
そう話せば、彼は声をあげて笑った。
お前が手を下せば、サフィルが傷つく。ようやくお前に心を許したんだ。裏切ってやるな。
どうせあまり好かれていないからな。俺がやるよ、シューガ。
憎まれ役は一人で十分だ。
かくて、二人の間で計画が立てられた。
シューガがいればかえって事態がややこしいということで、ヴァドーとサフィルの二人だけで山小屋を出、適当なところで手を下すことに話が決まる。
肝心なのは、サフィルが死ぬのだと、守護獣に思い込ませることだ。
吸血鬼の能力によってすぐに再生がかかると知れば、何としてでも聖獣は残留しようとするだろう。
サフィルにも守護獣にも、死を覚悟させなくてはならない。
非情に手を下すことを、ヴァドーはシューガに誓った。
山小屋の外にそっと身を潜め、シューガは二人の様子をうかがっていた。
荒療治だが、仕方がない。
守護獣がいる限り逃げても追手がかかる。
監視人を常に身の内に置いているようなものだ。
サフィルのためにも、なんとしても厄介な存在を分離しなくてはならない。
このままサフィルを傷つけずに聖域の見張り役を身の内に置くか、命を一度止めてでも憂いを断つか。
究極の選択だった。自分達は後者を選んだ。
闇が辺りを包むころ、ようやくヴァドーとサフィルが小屋を出てきた。
気付かれないように、シューガはそっと後をつけた。
しばらく進んだところで、ヴァドーが足を止める。
サフィルがフォルド司祭のことで礼を述べている。
言のついでに彼が自分が魔物だから仕方がないと言った時、ヴァドーは激しい怒りをたぎらせた。
サフィルが戸惑っている。
思わず止めに入りたくなる衝動を、懸命に抑える。
これは演技なのだ。
サフィルにヴァドーの怒りを感得させ、死を理由づけるための。
解っていても悲嘆にくれるサフィルの姿に胸が痛む。
必死に過去を思い出そうとするサフィルの内側から、黄金の守護獣が邪魔だてをしている気配が漂う。
「嫌だ……俺は……自分で……えらんだ……俺は」
懸命にサフィルが声を絞っていた。
思い出しかけている!
かつての自分との記憶を。
胸が轟く。
痛みに身を折るサフィルの手をしっかりとヴァドーが握っていた。
厳しい言葉を吐き、命を奪うと宣言する。
サフィルはあきらかに動揺していた。
逃げようとする身を、ヴァドーが封じる。どんなに血を飲んだとしても、サフィルはまだ変性の途中だ。純血の吸血鬼一族のヴァドーには力では到底かなわない。
難なく動きを封じられたサフィルは、救いを求めるように、自分の名を呼んだ。
「シューガ!」
びくっと、身が震える。
駆けだしたい衝動を懸命に抑える。
髪が銀に変じ、爪が硬度を増す。
愛しい存在が助けを求めているのに、走っていけないことがこれほどまでに辛い。血を交わし合ったばかりだというのに。この身の中にサフィルの芳しい血の香りがあるというのに。
救いに行けないことが身を裂くように苦しかった。
かねての計画通りに――
ヴァドーは見事な剣さばきで、過たずサフィルを刺し貫いた。
恐らく手にかけたヴァドーも辛かったのだろう。
守護獣へ向けて、罵る言葉を吐き捨てている。
この存在がサフィルの中に居座っているから、自分達は過酷な手段に出るしかなかったのだ。彼の怒りはもっともだった。
がくっとサフィルの体から力が抜けた。
と、同時に、サフィルの体から柔らかい金色の光が漂い出してくる。
出た。
守護獣だ。
シューガは相手に気付かれないように、そっと手の内に愛剣を呼び出す。
応えて抜身の剣が静かに顕現した。
「やっとお出ましか、守護獣殿」
ヴァドーがサフィルの体を支えたまま、にやりと笑う。
「お前も屠ってやるよ。その精神体ごと全てな」
――出来るかな。
闇の森に黄金色に輝く獅子の姿が揺らめきながら現れる。
獅子は静かにヴァドーに告げた。
――お前たちがこの者に力を注いだことによって、我も力を得た。簡単には屠られはせぬ。
「邪魔なんだよ。『聖域』の間者の存在がな。フォルド司祭が口を割ったぞ。お前が逐一サフィルの情報を『聖域』に流していたとな」
――我は『聖域』と等しい存在だ。我の見聞きすることは聖域に通じる。それだけのことだ。
「それが邪魔なんだよ」
――鍵を、こちらに渡せば済むことだ。
「それでどうするんだ。サフィルを一生幽閉しておくのか?」
ふんとヴァドーは鼻で笑った。
「この子はもう我々一族のものだ。戻すと思うのかよ、『聖域』の薄汚い手の内にな」
――無礼な。では鍵ごとその身を砕いてやろう。我がかつて、そなたらの一族に身を滅ぼされたようにな。
「させると思うか、守護獣」
ヴァドーはまだ剣を突きたてたままのサフィルの身を腕に抱き、好戦的な目で守護獣を見つめた。
「言っておくが、俺たち一族は手強いぞ」
ふふっと笑いがこぼれる。
「特に、我らが長はな」
ヴァドーの言の終わらないうちに、シューガは大地を蹴り、サフィルたちの元へ飛んだ。
はっと守護獣が怯んだ。
その隙を見逃さず、手にしていた漆黒の剣で、サフィルと黄金の守護獣の間に今も渡されていた、微かな繋がりを一刀のもとに断ち切った。
これで、完全に分離が適った。
もう、サフィルが守護獣に縛られることはない。
「サフィルを、安全な場所へ」
シューガが一言呟くと、心得たようにヴァドーはサフィルを抱え巨大な蝙蝠へと変じた。
彼がサフィルを戦場から遠ざけるのを感じながらも、シューガは目を守護獣から逸らさなかった。
「ヴェルド・アガネンが身を滅ぼした時に、お前は消えているべきだった」
シューガは宣告する。
「その過ちを今、私の手で正してやろう。黄金の聖獣」
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