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第十三話 原始の海へ
※戦闘に関する残酷な表現がございます。苦手な方はご注意ください。
―――――――――
シューガの宣言に、ふっと守護獣が口元を歪める。
――我が消えれば、誰が鍵の守護をするのだ。異界の暴徒から誰が護るというのだ。
シューガは声を放って笑いそうになった。
「サフィルはお前の守護を受けずとも、異界の徒を抑えるだけの力を得た。
お前は無用だ、聖獣よ。認めたくはないだろうが」
眼差しを据えたまま言を放つ。
「アンリは我が同胞。誇り高き一族の末裔だ。お前が守らずとも我ら一族が身を賭して保護する。悪あがきを止めて、さっさと原始の海に帰るがよい」
――魔物風情が!
守護聖獣が吼えた。
「魔物と我らを呼ぶお前たちが、どれほど優れているというのだ」
シューガはゆったりと漆黒の刀身の剣を構えた。
「醜い所業はどちらが上かな」
――魔物は、魔物だ。さっさと異界に戻るがよい。
「役目を終えたらそうさせてもらう。だがその前に、ここで為さねばならないことがある」
シューガは揺るぎない眼差しを聖獣に据えたまま言を放った。
「それにはお前の存在が邪魔だ、守護聖獣。ヴェルド・アガネンに代わって私が始末をつけてやろう」
言葉が終わると同時に、漆黒の剣を下から上にシューガは振りぬいた。
剣から放たれた風が質量を伴って、守護聖獣を襲う。
黄金の獅子は瞬間低く身を構え、咆哮を上げた。
声は塊のように空気を震わせて、斬りつける風にまともにぶつかり合う。
空間が歪むほどの衝撃波が二つながら正面からぶつかり合い、大気を震わせる。
大地までが鳴動する。
その余波が去った時、シューガの姿は元の場所になかった。
剣を振りぬいた瞬間鋭く飛び、守護聖獣の背後を取っていた。
そのまま横に刃を薙ぐ。
とっさに身を翻した黄金の獅子のたてがみは、太刀風に触れて辺りに光の欠片のように飛び散った。
――我らの『鍵』をどうするつもりだ!
「お前たちの手には戻さない。それだけだ」
構えを崩さずに、シューガは冷たい言を放った。
――『異界の門』を解放したままにするというのか!
ふっとシューガは微笑みを浮かべた。
「どうやら時代を経るうちに、なぜ『異界の門』が存在するのか、お前たちは忘れてしまったようだな。その原初の目的を思い出せば、おのずと私がどうするかが解りそうなものだが」
守護聖獣の目が細められた。
――どういう意味だ。
「これから存在を消滅させるお前に、聞かせる言葉はない。お前はまだ『聖域』と繋がっている」
シューガは剣を構え直した。
「守護聖獣。忘れているようだが、私は相当に腹を立てている」
翠玉のようなシューガの瞳が、瞬間深紅に燃えた。
『お前は、アンリの記憶を冷酷にも消し去った』
長く牙を伸ばし、吸血鬼一族の力をむき出しにしてシューガは大地を蹴りざま、黄金の獅子に神速で迫り、黒い刀身の剣を両手で振りぬいた。
黄金の獅子は予測していたのだろう。
とっさに身を翻していた。
刀身が黄金の獅子の残像を薙ぐ。
宙へ翔けた守護聖獣は身から雷のような黄金の光を放つと、咆哮と共にシューガに向けて突っ込んできた。
黄金の光が剣に絡み、動きを封じようとする。その上で、黄金の獅子はシューガの喉首に噛みつこうと牙で迫った。
とっさにシューガは剣を握る片手を離し、迫る獅子の口の中に、自分の左腕を押し込みそのまま噛ませた。
黄金の獅子の強力な顎がシューガの腕を噛み砕く。
動きを自分の腕で封じ、片手で握る剣を、激しい勢いで腕を噛む獅子に向けて振り下ろす。
がっつりとシューガの腕に喰らいついたまま、守護聖獣の首が、黒い刀身の贄となった。切り離された体が、どうっと音を立てて大地に転がる。
首はまだ、シューガの腕を咥えたままだった。
激しく眼差しを交わし合う。
『原始の海に還れ』
シューガの言葉の終わらぬうちに、さらさらと守護聖獣の体が砂のように崩れて、宙に溶けていく。
光の粒となり、黄金の獅子は空間に消えていった。
その行方をしばらく見守ってから、シューガは黒い刀身の剣を一閃して、刃の表面についた獅子の痕跡を消した。
ぽた、ぽたと自分の左腕から滴る血を、赤い瞳のまま見つめる。
強力な獅子の顎で、骨が砕かれていた。
この腕では、サフィルが驚くと、判断し――
シューガが眉を寄せた瞬間から、静かに傷が癒え始める。
筋を復活させ、血の管を繋ぎ、骨に再生をかける。
吸血鬼一族は回復が早い。
血は失われたが、使いこなせるまでに左腕は瞬く間に癒えていく。
手にしていた剣をシューガは身の内に再び収めた。
漆黒の刀身を持つ剣は『星斬り』と呼ばれていた。一族に伝わる名刀を、シューガは身の内に格納していた。いつでも呼べば手の内に顕現する。
「さて」
左手を軽く握り、動きに支障がないのを確かめてから、シューガは顔を上げた。
「ヴァドーはどこへアンリを移動させたかな」
*
明るい日差しが、頭の上から照り付けている。
フォルド司祭様に隣町までの使いを頼まれ、サフィルは舗装されていない道をひたすら歩いていた。
暑い日だった。
陽炎に進む道が歪んで見える。
麦わら帽子がわずかな日陰を与えてくれているだけで、夏の太陽に汗が滲む。
黙々と歩き続けるサフィルは、道の途中で、見知らぬ人に呼び止められた。
友人を訪ねていくところなのだが、道に迷ってしまってね。
その人は明るい声でサフィルに言った。
こげ茶色の髪に、深い藍色の瞳の若者だった。人懐っこい顔で彼は笑った。
この住所はどこだろうか。
その人は、サフィルにアンリカ村の住所を見せた。
書かれていたのは、ダルスさんの家だった。
そこで、サフィルは途中までなら一緒に行けると告げて、その人を道案内した。
彼はとても喜んでいた。
友人を急に訪ねて驚かそうと思ったけれど、道に迷ってしまっては仕方がないね。
と彼は笑顔でサフィルに告げる。
屈託ない様子が楽しくて、ついついサフィルは教会で暮らしていることを話していた。そうしたら次の日に、彼は教会に会いに来てくれた。
しばらくアンリカ村に滞在することになったから、と――
彼は優しく微笑みながら、シューガと名乗った。
――サフィル。
優しい声が名前を呼んでいる。
目を覚まそうとするのに、体が重い。
――心臓が完全に一回止まったんだ。そう目覚めを焦るな、シューガ。
声がする。
これは、ヴァドーだ。
――大丈夫だ、シューガ。アンリは目覚める。お前の血をたっぷり飲んでいるからな。
血を飲んで……?
その言葉に、どくんと身の内が震える。
血が欲しい。
飢えに身が引き裂かれるような衝動が走る。
そして、背中が燃えるように熱かった。
この苦しみを止めてくれる人の名を、サフィルは懸命に呼んでいた。
「……シューガ……」
会話がぴたりと止まり、
「サフィル!」
と声が上から降ってきた。
目を開くと、そこには銀色の髪のシューガが心配そうな顔でのぞき込んでいた。
「大丈夫か、サフィル。私が解るか?」
応える代わりに、震える手を伸ばして銀色の髪に触れる。
そっと唇に引き寄せる。
この銀色の髪が好きだった。
まるで優しく降る銀色の雨のような――
「シューガの銀の髪が好きだ」
ぽつりとサフィルは呟いていた。
「初夏に降る雨のようだ」
瞬間、驚きにシューガが目を瞠る。
「……思い出したのか、サフィル……」
あまりにも優しい問いかけに、サフィルは小さく頭を振った。
「アンリカ村で声をかけてくれたところまでは、思い出せた。でもその後がまだ……」
不意打ちで、ぎゅっとサフィルは抱き締められていた。
「でも、私のことを思い出してくれたんだね。ありがとう、サフィル」
頬を髪に押し当てて、シューガが呟く。
「嬉しい……心から、嬉しいよ」
震えるシューガの身にそっと腕を回して、抱き締める。
飢えに身が震える。
求めているのは、シューガの血だけだった。
「――シューガの血が欲しい」
小さく彼の耳元に呟きをこぼす。
ふっと笑うと、シューガがそのまま首を傾けてくれる。
「いいよ、サフィル。存分に飲むがいい。私の血は君のものだよ」
半ばぼうっとするままに、差し出された白い首筋にサフィルは素直に舌を這わせた。太い血の管を感じ取ると本能のままに牙を突きたてる。
甘やかな吐息が、シューガの口からこぼれ落ちる。
「君はますます上手になっていくね。とても気持ちがいいよ」
こくこくと飲んでいるうちに、飢えは収まっていった。
けれど。
背中の熱がいっこうに去らない。
芳醇なシューガの血を満喫し、十分満たされたサフィルは、そっと牙を引く。
舌で傷口を舐め上げていると、びくっと身が震えた。
信じられないほど、背中が熱い。
思わずぎゅっとシューガの腕を掴んでしまう。
「どうした、サフィル」
どくっ、どくっと内側が脈打つようだ。
「シューガ……背中が……背中が熱い」
言葉に、さっとシューガが抱き起してくれる。
すぐ側で、ヴァドーの冷静な声がした。
「シューガ。サフィルの身に起こっているのは、恐らく変成だ」
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