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それは、一枚のチケットからはじまった。
もらった映画のチケット。
好きではないジャンルの時は、どうしたらいいんだろう。
久遠木乃花の、目下の悩みはそれだった。
すごく惜しみを付けて、同じゼミの子から押しつけられたのだ。
本当は行きたかったんだけれど、どうしても行けなくなって。
ぺろっと、舌を出して、小泉瞳子が、木乃花に小声で続ける。
これから、達也くんとデートなの。
なら、ゲットしたての彼氏と、一緒に映画へ行けばいいじゃない、と、木乃花は思ったが、口には出さなかった。
ホラー映画のチケットなのだ。
よほど趣味のあう彼でないと、ドン引きだろう。まだ付き合って浅い彼に、瞳子は本性を出していないらしい。
しかも一枚。
今日が最終日。
自分一人で観に行くつもりだったのが、機会を逃し続けた結果、今日に至ったのだろう。
毒々しいイラストが躍るチケットを目にして、木乃花は無言だった。
面白いと思うわよ。
瞳子は真剣な顔で言う。二作目なんだけど、一作目を見ていなくても大丈夫だから。
ああ、行きたかったな。
でも、木乃花に上げるから、楽しんできて!
ホラー映画で、楽しめと?
ごめん、趣味じゃないから。と、戻す前に、瞳子はさっさと踵を返して去って行った。
今日のデートに備えて、色々準備があるのだろう。
映画のチケットを手に、木乃花は小さく吐息をついた。
午後の授業は休講になっている。
大学は本当に自由だ。
校則でがちがちに縛られていた高校時代は、一体なんだったんだ。
と、思えるほどだ。
チケットを眺めながら、木乃花は、薄暗い映画館の中で趣味でもないホラー映画に震える自分を、束の間想像してみる。
どうも、いただけない。
実は。
木乃花は、恐がりだった。
ホラー映画など、今まで一度も観たことがない。
夏休みの恐い話特集も、決して画面をつけない。
筋金入りの、恐がりなのだ。
講義が休講になったため、図書館で過ごそうと思っていた矢先の出来事だ。
なぜ、貴重な自分の時間を、押しつけられた見たくもない映画で、潰す必要があるのだろう。
いらだちに任せて、ぐしゃぐしゃに握り潰してしまおう。
と。
一瞬考えた。
腹いせもかねて、通りすがりのゴミ箱に投げ捨てて、すっきりしてしまおう。
そこまで思いながら――木乃花が、紙一枚の余地を残して、チケットを握りつぶすのを思いとどまったのは、去り際に瞳子が、
「感想聞かせてね!」
と、無邪気な顔で言ったのを、思い出したからだった。
木乃花が、この映画を楽しむに違いないと確信している顔だった。
世の中には、ホラー映画が嫌いな人間も、ジェットコースターが苦手な人間もいる。蝶々が大嫌いなものも、猫が性に合わない者だっている。
だが多様性のことを話しても、瞳子には通じそうになかった。
さて。
どうしたらいいのだろう。
さっきから微動だにせずに、木乃花はチケットを眺めつづけていた。
「あれ」
不意に、横で声が聞こえた。
「それ、『死霊の踊りだす夜』だよね」
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