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王子、登場。
『死霊の踊りだす夜』――?
映画の名前などろくに見ていなかった木乃花は、赤を基調とした毒々しいイラストの中にはめ込まれた文字に、ああ、と思わず得心する。
そういう題名だった。
でも。
ちらっと見ただけで、映画の題名を一瞬にして見切った人物とは誰だろう?
ゆっくりと木乃花は声のした方向へ顔を向けた。
視神経が人物を認めた瞬間、反射的に目が大きく見開かれた。
山田涼太郎。
同じゼミの人だ。
淡い茶色の髪の毛がくるくると柔らかく巻き、優しい眼もとも涼やかな、別名『王子』とも呼ばれている、かの有名な山田涼太郎――。
彼が口角を上げたまま、木乃花の手の中のチケットをのぞき込んでいる。
「それ前売り券だよね」
呟いてから王子の視線が、上がる。
彼と目が合った。
瞬間、にこっと、山田涼太郎が笑みを浮かべた。
「久遠さんも、この映画に行くの?」
も?
行くの?
「も」は、副助詞で事柄に何かを付与する意味を持つ。
「行くの?」は問いかけだ。
つまり。
(僕は行くけど)久遠さんも、この映画(を観)に行くの?
と。
自分は問いかけられているらしい。
なんてことだ。
山田涼太郎『王子』は、公開前にチケットを購入し、わざわざ映画館でホラー映画を観る人なのだ。
そして自分はどうやら――
同じ趣味の人間だと勝手に彼に思われてしまったようだ。
いきなり木乃花は動揺した。
「え、あ、こ、これは」
やっと、言葉が木乃花の口から転がり出た。ここまで、状況の展開のあまりの思いがけなさに思考が停止し、話すことすら出来なかったのだ。
王子が、にこっと再び甘い笑みを浮かべた。
「僕も持っているんだ、ほら」
山田王子がごそごそとカバンの中から財布を取り出し、開いて中から一枚の細長い紙を取り出した。
見間違えようがない。
今、木乃花が手にする毒々しい赤の『死霊の踊りだす夜』と同じチケットだった。
二人でおそろいの赤のチケットを見て、山田王子はにこにこ笑っている。
「久遠さんも、スペシャル版の前売り券を買ったんだね」
とても嬉しそうに山田涼太郎が笑みを深めて言う。
「当日券は緑ベースのイラストだけど、この前売り券は赤が印象的でとてもいいよね。前売り特典の死霊マスキングテープも秀逸で、買って良かったと思っている」
すごく嬉しそうに王子が呟く。
「久遠さんが持っていて少し驚いたけど」
いえ、違うんですこれは――
と木乃花が言い訳をしようとした時、急に山田涼太郎は、
「今日、最終日だったね」
と語調を変えて言ってから、ちらっと、自分の左手に目を遣った。
白い腕時計で時間を確かめると、
「今から行けば、13時45分の回に間に合うよ」
と満面の笑みで言う。
え?
どうして、あなたはそこまで、上演時間を把握していらっしゃるのですか?
と、敬語で問いかけたいほど、王子はやたらと映画の情報に詳しかった。
「ちょうどよかった。行こうか、久遠さん」
有無を言わさぬ口調で、山田涼太郎が笑顔のままで木乃花に告げる。
あの。
私には、選択権が無いのでしょうか?
それに。
ふと、木乃花は、周りからの視線に気付いた。
数人の女子が足を止め、遠巻きに木乃花と山田涼太郎のやり取りを見ている。
ま、まずい。
彼女らの視線が絶対零度で木乃花に突き刺さる。
「遅くなると途中から入らなくてはならないよ。午後の講義は休みだから、良かったね」
口調はジェントルマンなのに意外と強引だ。
「せっかくの前売り券がもったいないものね」
軽く木乃花の肩に手を乗せて、王子が動くようにうながす。
色々、まずいです!
木乃花は心の中で絶叫していた。
視線が、痛いです、王子!
どうして、私が、王子とホラー映画を見に行くことになったのか、木乃花は、状況が理解し切れないまま、迷子の子が手をひかれていくように、映画館がある方向――大学の西出口へと向かっていた。
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