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 じいちゃん()の庭の隅に構えられた古書店・古本や。  春には、桜の花弁が本の栞代わり。  夏になると、庭に植えられた月桃が甘い芳香を漂わせる。  秋の訪れと共に店で流れるBGMは、鈴虫やキリギリスのどこか寂しげな声。  空気がキンと冷え切る冬は、専ら、ストーブのお守りをしながら読書に耽る。  約束破りの厄介者と見做されていたボクが、唯一、心から安らげる場所――それがこの、四季をしっかりと感じ取れる素敵なお店だった。  ボクがここの戸を潜るのは大抵、自分でもどうしようもない体質について悩んでいる時だ。  そんなボクにじいちゃんは、ボクからじっくりと事情を聞き出してから、「難儀なものだね、るか」と呟きながら、ボクが犯した過ちを諭す。その後は決まって、「まあ、本でも読んで頭をお冷やしよ」と児童書を差し出した。  じいちゃんが寄越してきた本は数知れず。古今問わず人々に愛されてきた名作から、探偵もの、冒険譚、恋愛ものや滑稽な物語、詩集まで、ジャンルに見境はない。  いずれも余すことなく面白かったから、ボクは気にせずに差し出されたものをすべて読んだ。  当時、気に入って読んでたのは、魔法使いが出てくるお話だったかな。中でも一番好きなのは、家庭教師をする魔法使いの冒険譚だった。  子ども相手にいつもは無愛想な態度なのに、本当に辛い時はそっと寄り添う、根は優しい魔法使い。彼女に名前の表記はなく、作中には『魔法使い』か『家庭教師』もしくは『先生』と書かれていた。  子ども達はそれぞれ、強がりな子や引っ込み思案な子、おしゃまだったりするけど、皆揃って好奇心旺盛だから、たくさんの不思議を見せてくれる魔法使いが大好きだ。  魔法使いが持っている不思議なグッズも、物語に出てくるおかしなアイテムも世界もキャラクターも魅力的だった。  見た目以上の容量を持つトランク、虹色に輝く飴、宙に絵を描ける筆、空を自在に染める絵の具、一口齧れば黒蜜が溢れるパン、星の羅針盤。  動物達が営むサーカス、本の世界の旅、蟻の巣みたいに連なる砂漠下の宿。  気高い蟻、大道芸をする幽霊、怠けすぎて山になった大蛇、気弱な死神。  魔法使いを中心に巻き起こる不思議な事件の数々に、物語の主人公にあたる子ども達同様、読者のボクもずっとワクワクしていたし、あの物語の中の世界にどれだけ心惹かれたことか。  面白いエピソードは語り尽くせないほどたくさんあるけれど、中でも気になったのは、魔法使いの持つ蝙蝠傘だった。  ハンドルが鍵を模した、夜よりも真っ黒な蝙蝠傘。その傘を差した魔法使いは、風に乗ってどこまでも遠くへ飛んでいく。  このエピソードにすっかり心を奪われ、魔法使いに憧れるようになったボクが、これを試さないわけがない。  傘を差した状態で、強風吹き荒ぶ外に出たり、高い所から飛んでみたり。これを試したら飛べやしないかと思い立ったら、リスクも顧みずに行動を起こした。  結果は言わずもがな。ボクは家中の傘のみならず、そこいらで打ち捨てられた傘や、親に新調して貰った傘まで、尽く空を飛ぶ練習台として使用し、折りに折った。  ボク自身の怪我は……まあ、ギプスを填めることがなかっただけ、運は良いかもね。  無惨に折れた傘の山を見た親は勿論、大激怒。無謀な挑戦はしてくれるな、と約束させられた。  けどね、ほら、ボクは"約束破り(ハリセンボン)"なわけで。やはりと言うか、誰とのどんな約束ったって、特例となることなんてないことが証明されただけだった。  そして、ボクが八歳になり、傘を二十数本程(何十本は流石に過言だよ)台無しにして、ハリセンボンの傘壊しと周囲から揶揄されるようになった頃のことだ。ボクはある運命的な出逢いを果たした。
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