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「すいませーん」
「いらっしゃいませ」
お客がレジにやってくるとタカナシさんはすばやく笑顔を作る。カラスの笑顔と言われると猫が喋る程度に奇ッ怪じみたシチュエーションでは有るがこの店でそういう事に驚く人を見たことがない。奇妙に歪んだ嘴を愛想が良いかと問われれば、おかしな事にそれを是とすることになる。
「奇妙な顔をしているね」
この場合奇妙な顔を作っているのはタカナシさんの方である。そんな表情から何を察したのか。二羽の鴉を目の前に置いてみる。
「サクマくんは人形遊びはしたこと有る?」
私は顔をしかめた。成人を過ぎた男性が人形遊びに夢中になっている絵面を思い浮かべてしまったのである。それはやはり異様な絵面だった。私は何を聞かれているかよくは分かっていないが控えめに首を振ってみた。
「私はしたことが有るんだけどね、あれは奇妙なもんだよ」
うん、奇妙だ。とタカナシさんは自分で納得するようにうんうんと頷く。今度はタカナシさんが人形を向かい合わせて遊ぶ姿を思い浮かべるが、私の想像力の問題か少し考えにくい。
「そもそも、人形ってものが奇妙だ。あれは余りに人的でなさすぎる」
そうだろうか。人間を模しているのだからそれは人間に近いと言えるのではないだろうか。昨今は余りにもデフォルメ化が進みすぎているきらいが有るが、人間の造形からは離れすぎているという事もないだろう。
「いや、人間と人形は異なる」
そう言うとタカナシさんは鴉を手にとった。例えば人形とは固定された無機物である。そこに有るのは保たれる美しさで有り、完成させた物だ。対して人間はどうだろうか。成長するし、変化もする。悪く言えば老化する。そこでタカナシさんは一度言葉を区切った。表情を伺う事はできないが何かを考えているようだ。しかし、そうは言ってもそれは無機物としての存在と有機物としての存在であって。造形が似るとは異なるだろうと私は反論を返した。するとタカナシさんは微笑んだ。君は例えば人形を気持ち悪いと感じた事はないかい? と問いかけた。確かに有る。神戸の旅行誌を見た時の蝋人形の写真に少し異常さを覚えたことが有る。しかしそれは不気味の谷のようなものだ。異質さを感じてのことではない。
「不気味の谷とは人間に似すぎる存在に嫌悪することだよね」
私は頷く。つまりとタカナシさんは喋り始めた。
人間と似たものという事は人間とは近いかもしれない。だが全く異質な存在。それが人間を模している事、それに嫌悪感を覚えるという至極まっとうな感性なんだよ。だからこそ見てる側も気がついているのさ。人間的では有るがそこには遠い溝が有るという事を。決定的に人間でないという事に。
「タカナシさんの言うことはよくわかりません」
「そうかな」
タカナシさんは困った顔をかもしれず、そして少し悲しそうな顔をしたのかもしれない。タカナシさんは鴉だから私には表情は読み取れない。
「もし人形を見てパレイドリア現象を覚えたなら、それは人間と近いという事になるのかもね」
そう言うとタカナシさんは鴉のように首を捻った。何か思いついたのかタカナシさんは奥の方に飛んでいった。そのままレジからは見えなくなってしまった。私はぼんやりと先ほど言われた事を反芻していた。
私達は親しいものを求めるだが、親しいものを嫌悪する。遠ざけようとするくせに遠いものを軽視する。高菜彰吾がそんな事を言っていると聞いたことが有る。話の前後は妙に格式張ったビジネス知識を盛り込んだ内容だった為理解出来なかった。しかし、その言葉は私の心に闇を落とした。
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