雨の日の君と僕

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雨の日の君と僕

 中学校からの帰り道。ぽつぽつと降りだした雨に気付いた俺は、傘も差さずに迷うことなく神社へと向かった。 「まーた、一人できたの?」  水色の傘、肩より少し長い黒髪。  雨の日だけ、彼女は現れる。  年の頃は俺よりも少し上だろうか。ここに来るまでで息の上がった俺を見て、苦笑しながら「ちょっと待ってて」と言って飲み物を持ってきてくれる。 「……梅酒?」 「な訳無いでしょ、梅シロップを水で割ったの。毎年境内で取れる梅をね、砂糖漬けにしてこれを作るんだ」  だからお子様な君も安心して飲んでいいよ、と。どこか可笑しそうに笑う。  そっちだってまだ子供じゃないか、と思うが、彼女の笑う表情を見るとそんな文句は消え去っていく。  初めて俺と彼女が出会ったのも、雨の日だった。  学校の帰り道、小雨だったのが徐々に本降りになり、あわてて雨宿りに寄ったのがこの神社だった。  人気の無い神社にいきなり現れたものだから正直ビビったし、もしかしてあやかしか何かか?とか非現実的な考えも頭をよぎった。  しかし彼女はあやかしでも幽霊でもなく、この神社の神主の娘だった。  雨で部活がない時は、ここに来て大学受験の勉強をしているらしい。  静かで落ち着くの、と言っていたけれど、俺には些か静かすぎるような気もした。逆に集中が出来なさそうな。  彼女に促されるまま神社の中に上がり、畳と長机のある部屋で雨宿りをした。  タオルでずぶ濡れの頭をわしゃわしゃと拭いてもらった時には、犬じゃないぞと少し思ったが、なんだか気恥ずかしさもあって何も言えなかったのを覚えている。 「上がってく?」 「ん」  静かな部屋で雨の音を聞いて過ごす時間が、思った以上に心地よくて、俺は雨の日にこうしてこの神社に立ち寄る。  一度、俺がいたら勉強の邪魔にならないかと聞いたら「たまのお喋りが息抜きになるから逆に助かる、君はうるさい人じゃないしね」と言われたので、そうかと頷いて、以来この雨の日のひとときを甘受している。  ぽつりぽつりと雨音が響く。  少し強い風が吹くと、雨粒がガラスに叩きつけられてトタタタン、と鳴いた。  暑くなり始めたこの季節が、雨によって少しだけ涼しくなる。 「ねえ」 「……!なんだよ」  ぼんやりとしていた所に声をかけられて若干驚いた。そんな俺を気にすることなく彼女は話始める。  唐突だけれど、それが嫌じゃなかった。 「君はさ、高校どこ受けるの」 「県内の近いとこをいくつか。大学行くつもりだから普通科か進学コースあるとこだな」 「そっか。……じゃあ私とはお別れだね、県外の大学しか受けないから」  さらっと言われたことになぜか胸がつまるような息苦しさを覚えた。  書く手を止めて、彼女は普段通りの顔をして俺を見る。 「ここ、もし気に入ってるなら使ってもいいよ。父親に言っておくから」  雨の日に一人で。この神社の中で過ごしている自分を想像した。なんだかそれは酷くがらんとして、寂しい風景に思える。  家主でもない俺一人きりでは心細いとか、そういうんじゃなくて。 「……あんたがいないなら、嫌だ」  驚いたように彼女は目を見開いたけど、決して茶化しはしなかった。  こういうとき子供扱いしない誠実さも、俺の言葉に驚きつつ少し動揺している純粋さも、言葉にするならひとつしかない。 「好きなんだ」  ここに通い続けたのは、きっとこういう事だったと、俺自身漸く気付く。 「っ、でも私年上だし、さっきも言ったけど県外受験で──」 「いい。後からだけど追い付く」 「……本気なの?」 「信じてくれないのか?」  しっかり目を見つめると、少しして逸らされる。 「参ったなぁ」  その一言にひやりとする。拒絶されるのだろうかと。 「雨じゃなくても──晴れでも曇りでも、また私と会ってくれる?」  その言葉の意味を漸く理解し、俺は彼女の手を取った。  少し怯えるように震えていたから、落ち着くまでずっとそうしていた。 「ほんとはいいお姉さんでいようと、頑張ってたんだよ。秘密にしておいたのに」 「秘密って、何を?」 「……君が好きだってこと」  そっと呟かれる言葉は、雨音の中でも真っ直ぐに届いた。
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