氷雪の蛍火

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 凍てつく寒さが冬の本番を知らしめる二月下旬。深く積もる雪の下には、小さな命が芽生える準備を始めている。  黒のパーカーと黒デニム姿に鞄を肩から下げ、一度降りた階段を勢いよく駆け上がった。 「あのさ、スマホ忘れて……」  部屋のドアを押し開けながら、発する言葉が小さくなっていく。  閑散(かんさん)とした素っ気無い部屋に溜息を(こぼ)して、机に置き忘れたスマホを(おもむろ)に掴んだ。  小夜が消えた夜から二週間が経った。彼女のいない日常には慣れて来たつもりだけど、たまに誰もいない空間に話し掛けている自分がいる。  進学や就職先が決まっている三年は、自由登校の期間に入った。すでに推薦で大学に合格している僕は、現在線路の上を走っている。  揺れる度に隣りの三好に肩が当たり、彼女は少しだけ気まずそうに体を縮めた。  洸哉の見舞いへ行くために、わざわざ遠回りをしたいと言った僕のわがままに、彼女が付き合ってくれているのだ。  小夜が成仏して、心にぽっかり穴が空いた状態だった。なんとか普通の生活をして来れたのは二人のおかげだ。大袈裟に聞こえるだろうけど、人間なんてそんなものだ。  哀しみを紛らわせてくれる存在がいなければ、何も手に付かず今頃は廃人(はいじん)と化していただろう。  目的地とは別へ進んでいた列車を乗り換え、(はなぶさ)総合病院へ到着した。  濡れたアスファルトを踏み締めるスニーカーに、黒い羽根が落ちてくる。まるで死神の落としものみたいだ。  たまに自分の存在価値を見出せない時もあるけど、こんな僕を受け入れてくれる人がいる。 「長く付き合わせてごめん」 「ほんとだって。でも、ちょっとは気分転換出来た? 会った時、なんか消えちゃいそうな顔してたから」 「……まるで幽霊だな」 「もう、それは言葉の(あや)でしょ! 揚げ足取るな」  核心に迫るようなプライベートな部分に、三好は深く触れてこない。それほど興味がないのか、()えて気を遣っているのか。  どちらでも構わないが、僕にとってはその方が気分的に有り難かった。  だから僕も、彼女と洸哉のことには触れないようにしている。それがお互いの距離感というか、暗黙のルールみたいなところがある。  それでも以前より、ずっと心が近くなったように感じられた。  混み合う総合受付の前を通り過ぎ、エレベーターの前で足を止めた。隣に立つ三好が、何やらそわそわとしている。かかとをピョンピョンと上げ、脚をもじもじと動かす表情が硬くなった。 「もしかしてトイレ我慢してる?」 「ちょっと! レディーに向かって直球すぎ……ごめん、やっぱ先に病室行ってて…… 」  小走りに奥へ去って行く後ろ姿から目を戻し、僕は点滅するエレベーターに乗った。  長時間拘束していたから、言い出せなかったのだろうか。申し訳なかったと感じながらも、やはり女心は良く分からない。  部屋番号を確認しながら五階フロアを歩く。確かこの先の五一二だったはずだ。と、曖昧な記憶を引き出しながら進む足を止めた。
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