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星影の夢
二年後の秋初。大学二年生になった僕は、東京の街に揉まれていた。人の波に呑まれ、時間に追われ、鼻も味覚も都会の色に染まりつつある。
見渡す限り高層ビルで、秋の夜空は範囲が狭く感じた。それでも、アパートの窓から見える小さな光は、あの頃眺めていた星空と似ている気がする。
「いらっしゃいませ」
コンビニのレジに立つことを始めて、半年が過ぎた。親しんで話しかけてくれる年配女性もいるけれど、中年男性の常連客は、アルバイトにも関係なく当たりが強い。
「あ、あの……番号で言ってもらえると」
「だーかーら、いつものだって言ってるだろよ。マイセン! いい加減に覚えろよな。早くしろ」
隣のレジに立つ女の子が戸惑うような声を上げて、背中側の棚にかじりついて探している。
またあの客か……もう来なくていいよ。内心思いながら煙草の箱を取って、彼女へ手渡した。
「あ、ありがと……」
「いえ」
軽く会釈をして、自分のレジへ向かう。
ああして煙草の銘柄を略して言う人もたまにいる。昔の呼び方のままだったり、店員は全て知っていて当然と思っている人が多い。
たしかに仕事だから知識は持っているべきなのだろうけど、チケットの詳細や商品の説明を求められても、正直それは管轄外だ。
勤務時間を終えて外へ出ると、空は薄暗い幕を張っていた。
「あの……、お疲れさまです」
「お疲れさま」
一緒にシフトを交代した彼女が隣に並ぶ。昼間のことを気にしているのか、何か言いたそうな顔をしている。
「まだ入って一ヵ月だし、これから覚えたらいいと思うよ。僕もあんな感じだったから」
じゃあ、と帰るつもりが袖を掴まれて引き止められた。
「よかったら……その、今度ご飯行きませんか?」
あまりにも弱々しく震える声に、息が苦しくなる。開きかけた唇は一度閉じて、小さな笑みをこぼした。
「……いいよ。どこ行く?」
何度か食事へ行って、二ヵ月あまりが過ぎた頃、彼女から告白された。ずっと好きだったと言われて、悪い気はしなかった。むしろ嬉しかったのだと思う。
いつもと変わらない都会の風景が、ほんのり温かく感じたから。
「ーーありがとう。でも、ごめん」
断った時、彼女は笑っていた。本心を隠すようにして向けられた瞳は少しだけ潤んでいて、胸がチクリと傷んだ。
付き合ってみたら、彼女を好きになれるかもしれない。考えていた言葉を口にすることはなかった。
星空の下で、自分を偽ることが出来なかった。
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