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夢
クラスメイト達が倉庫からバスケットボールの入ったかごを出している。その様を体育館の隅で座って眺めていると、背後から聞きなれた声がした。
「かほ、今日休みなんだ」
「うん。私は出られるって言ったんだけど、渡辺先生は認めてくれなくて。たった2ポイント足りなかっただけなのに」
まどかも私と同じように左腕に小さな止血ガーゼを付けていた。体を動かしたくてうずうずしている私と違って、数値のおかげで休めてラッキーという気持ちが顔にありありと出ていた。まどかは私の隣に腰を下ろした。シャンプーなのか香水なのか、ふんわりと甘い香りが漂う。
「女バスのキャプテンがいないんじゃ、今日の授業、紅白戦はいい勝負になるかもね」
「そんなのわからないよ。バスケ部じゃなくてもうまい人はいるし」
教師の指示でメンバー分けされた生徒達がメッシュのベストを付け、紅白戦が始まった。一応マンツーマン体勢を取っているものの、相手側の生徒のマークは特に厳しくないのに、ドリブルしていた球をコート外に転がしたり、周りにパスできる味方がいなかったり、どちらのチームも締まりのない試合展開だ。私一人がチームに参加したって、そんなにレベルが上がる訳ではないと思うが、いつもこんな風だったんだろうか。
「ねえ、もしこういう体じゃなかったら何したかった?やっぱりバスケの選手?」
「どうかなあ。体がモノトーンだったとしても、選手になれるくらい上手くなれたかどうかはわからないよ」
「確かにね。でも数値のこと気にしなくていいなら、もっと練習に打ち込めたでしょ」
まどかは私たちの境遇について真面目すぎる話をしてくることが多いが、今日は随分突っ込んだことを訊かれている。私に向けられている真摯な目線を、まともに受け取るのが少し鬱陶しいような、距離を詰められて怖いような気がした。私達のように、体の内部に欠けを持って生まれてきた人のことを、世間ではカラフルと言った。それに対して完全に障害がないか、永続的な治療が必要でない人のことをモノトーンと言う。色々な欠けの形があるから、的を射た表現ではあるのだけれど、まるで私たちが全く苦労をしてないみたいなポジティブな表現すぎてシラケる、というのが私とまどかの共通意見だった。
「プロ選手でも、体調コントロールをしながら競技を続けている人はいるんだから。そもそも選手になるだけのセンスがなかったんだよ」
「そっか」
それでもなんだか腑に落ちない顔をしているので、ああこれは私のことを訊きたかったんじゃなく、まどかに何かあったんだなと悟った。普段なら「どうしたの?何かあったの?」くらい言うところだけれど、今日はなんとなく面倒くさかった。だって数値悪くて休んでるんだしと、心の中で言い訳してコート内をぼんやり見続けた。まどかはしばらく何か言いたそうにしていたが、途中で諦めたのか息を大きく吐いて、一転明るい声で言った。
「ねえ、ヤスくんにも将来の夢あるんだよね」
さっきとは全然脈絡のない話で面食らってしまった。まどかとはこれまで、ヤスがどれだけ横柄で酷い奴なのかという話しかしてこなかったので、まどかがヤスに興味を持っているだなんて思ってもみなかったのだ。そして私はその問いに答えることが出来なかった。私はアイツが学校でどれくらいの成績で、どういうスポーツをやっているのかというようなことについて殆ど知らなかったことに気付いた。ましてや将来何になりたいかなんて。そのことを正直に言うと、まどかは信じられないという顔をした。
「えっ、だって生まれてからずっと付き合ってるんでしょ?なんで知らないの?」
「いやだって……てか、付き合ってるって」
まどかのとことは違うんだよ、と言いかけてやめた。それを言うと「かほは素直になれないだけでしょ」って言われるに決まっているんだから。でも実際まどかはとても運がいいと思う。まどかのパートナー、リョウくんは本当にいい奴なのだ。パートナーが異性同士で、お互いの性的嗜好が合致していて、更には両親も合意している場合、かなり小さいうちに婚約の手続きを取ってしまう。まどかの両親は「民主的」だから、まどかが物心つくまでその手続きはしなかったそうだが、そういう配慮はまどかには不要だった。カラフルである限り不自由な生活をするのは決まっているのだから、まどかのことが羨ましいとは思っていないのだけれど、ただただまどかの見ている世界がどんな風なのか分からなくて呆然としてしまう。どうせならリョウ君みたいなパートナーが良かったと憧れることができないくらい、自分の生活は定着していて、良くも悪くもヤスのいる風景が私には当たり前になってしまっているのだ。諦めの境地に近いかもしれない。
「今度会ったら、それくらいのこと訊いてきなさいよ。それで私にも教えてよ」
だからなんでまどかがヤスに興味津々なんだってば。そこを突っ込もうとしたところで授業終了のチャイムが鳴り、まどかは内職しようと持って来たはずの参考書を抱え、軽々と去っていってしまった。
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