第一部 1

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第一部 1

果てが無いように思われる深淵がじっと彼を見つめていた。  慣れ親しんだはずの一個人にはあまりにも広大な宇宙空間。しかし、目をこらしてみると、それは完全な漆黒ではなくて淡いクリーム色に発色していることを確かめることが出来た。船窓となるモニター越しに、デジタル加工された有様。それを彼は、暗黒の中で光へ集まる被捕食者を狙う深海魚の、ぽっかりと開かれた口のように錯覚したらしい。  オリヴィエール・フォッシというその男性は年齢に合わない出世に恵まれてきた人物だった。二十代前半でありながら、少将の階級を得て、人類統一連合軍第三艦隊旗艦ラーンスロットの艦橋に立っていた。その出兵における総参謀長、という肩書きを付随させて。所謂、職業軍人。群青色の軍服の襟元に走るラインが彼の経歴の異様さを示唆していた。出世のため数え切れない軍艦にフォッシュは搭乗し、幾度となくごく僅かな星明かりのみが溢れた世界に触れて生きてきたらしい。  彼は、人類統一連合諸国軍少将は幾度となく戦場に身を投じてきた。しかし、恐怖を抱いたことはなかった。というのも、正義の御旗の元に、効率よく弱小の敵国をたこ殴りにするのが、その参謀長の本来の仕事だったから。   しかし、その当時参加していた戦闘は、彼のキャリアにはない異例の出来事だったらしい。約束された勝利の匂いがそこにはなかった。彼ら人類統一連合軍人皆にとって、初めて死を意識の表面に登らせなければならない状況だった、とのこと。  フォッシュが属する複数の惑星国家からなる人類統一連合諸国と、帝国・フォーアライターの出会いは互いにとって半ば不意打ちに近かった。  フォーアライターの性を持つ、貴族的階級者を旗頭にした専制君主国家。その外縁部に、ラインという名を授けられた資源惑星が存在していた。未だ手つかずとは言え、直径にして数千キロメートル単位の惑星規模の天体は、人間の生息地にはなり得ないものの、天然の鉱山資源そのものと言っても相違はない。先に所有権を有していると思い込んでいた帝国にとって、失ってすぐ様自分を壊死させるような重要な所有物ではなかったが、それでも他人に奪われても寛容な気分になれるようなものでもなかった。  そういった事情から、その石の塊のような土地に在駐していた帝国の守備兵力は実質ないに等しく、人類統一連合諸国が新たな資源の獲得地を目指して遠征に向かわせた外洋調査艦隊が、事前調査を蔑ろにしてラインという財宝を現場の独断によって掌握してしまった、というのがことの始まり。  そんな出会いをした都合上、それまで互いの存在を認知すらしていなかった二国の相手に対する第一印象は決して良くはなかった。帝国からすれば、人類統一連合諸国なる今まで接触を持たなかった国家との初のコンタクトと同時に、自分の所有物が強奪されていた形になるから余計に。資源惑星ライン上に少数配置されていた人員と、彼らが経営する施設の存在に人類統一連合諸国側が気付いた頃には、ラインからの定期的な調査報告が途切れたことを不審に思った帝国が派遣した小規模の艦隊が到着してしまい、遭遇戦の体を見せてしまった。  そうして、宇宙という人間がその全てを把握しきるには広い世界の一角にて二つの国家が接触を持つと共に矛を交える運びとなった。結果的に、フォッシュが所属していた人類統一連合軍の損害は、駆逐艦百十七隻。巡洋艦一が轟沈。六十が損傷。戦艦一隻が大破。参戦していた全艦隊を合わせると二万五千隻ほどの大軍であったから、ほぼ無傷で彼ら人類統一連合諸国は莫大な資源を獲得するに至った、ということにはなった。  その後、すぐ様互いの国家の存在を認識したことで、この資源惑星において、それぞれから派遣された外交史による武力ではなく言葉による解決が図られることになった。幸いにも、これらの国家のルーツに共通点でもあったのか、言語の相違を初めとして話し合いが出来ないほどの文化的な乖離が両者の間にはなく、平和的な解決が密かに期待されていた。されていた、と言うことは、もちろん逆説的な意味合いになったわけ。  当時、人類統一連合諸国は自分と対等、あるいはそれ以上の規模を持ち得る集団と接触した経験は無かった。それは帝国にも言えたことだけれど、小規模の国家と戦火を交え、それを吸収してきた背景を持つらしい人類統一連合諸国にとって、力をチラつかせる、という態度は無意識な悪癖として身についてしまっていた。  さらに、当時の政府は、国内で続く慢性的な支持率の低下によって、自身の地位を失う瀬戸際に立たされていた。つまり、自分達の特権を守るために、帝国という外敵を作ることで、ひとびとの目を国内から国外へと逸らさせようと努力した。その結果、纏まるものも纏まらず、帝国は人類統一連合諸国への感情を悪化させ続け、ついに奪取された資源惑星を本格的な武力行使によって奪還するまでに至ってしまった。何が皮肉かと言えば、フォッシュのような、前線で戦う羽目になる人類統一連合諸国の職業軍人らは、そんなあまりにもあんまりな理由のために帝国という未知の勢力を相手に命をかけなければならないことだろう。  しかし、だ。本来、民主主義を掲げた国家においてそんな馬鹿げた理由でそう易々と出兵などされるはずはない。人道的な観点によるひとびとの意義を形だけでも説き伏せなければならない。大義名分を、大勢のエリート階層が必死に練りに練って、それでようやく許可が出来るかどうか。ましてや、民主主義なんて風呂敷を広げているのだから、選挙権を持つ国民のご機嫌を損なっては元も子もない。さらに、人類統一連合諸国内では出兵による出費は何より疎まれた。自分達の血税の使われ方に憤怒する者も少なくなかったらしい。  けれど、帝国に住む人間にとって意外だったことは、戦地で赴く者達の家族や、恋人の生命の危機を涙ながらに訴える者は、ほぼ皆無だった、ということ。  それは、何故か。当時の人類統一連合国民に突発的にモラルハザードが蔓延していた。なんてことはない。彼らを構成する一員一人一人が非人道的でも、度が超えた楽観主義者達でもなかった。その理由を説明するには、資源惑星ラインにおける人類統一連合艦隊の損害に改めて一項目付け加えなければならないと思う。裏を返せば、その一言だけで多くを語ることが出来る、とも。  人的被害 死傷者0。  人類統一連合艦隊前線の艦隊は完全に無人化されていた。だから、そこに伴うはずの良心の呵責なんてものは脱色されていた。
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