第一部 2

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第一部 2

 火蓋が切って落とされてから一ヶ月とたっていない頃。高台に設置された装飾過多な椅子に座ったまま、私は短期間の間にもう何度目なのか数えるのを止めてしまった帝国会議の開始を宣言した。  円卓型のテーブルを帝国の重鎮達が囲んでいた。その光景は子供の頃に読んだ旧世紀の伝説におけるかの騎士団を私に連想させる。皆が黒を基調とした軍服だのスーツを身に着けていて、細部は異なるものの、その基本色と礼装という点では一致していた。  そんな中で、私だけがその集団においてのイレギュラーな彩りだった。スペイダーシルクにパールホワイトを溶かし込んだような色彩のドレス。その形状はアフタヌーンドレスを思い浮かべて、その平均値を具現化したような平凡なデザインだった。現代世界に夢物語の登場人物がこの中に紛れ込んでいます。そんな特異点が、この私だった。 開かれた会議の議題は、件の資源惑星の喪失について。フォーアライターの身の振り方を問う議題。 「今回の人類統一連合軍の攻勢は甚だ遺憾の念を耐えませぬ。ここは穏便に返還請求を行い、人類統一連合の政府、国民らに道義に基づく判断を煽るべきではないでしょうか」  口火を切ったのは侵攻前に相手の外交史と水掛け論を演じた当事者だった。 ベルノルト・クプハー外務長官。帝国議会における定年七十を迎えんとする小人のような印象を受ける男の発言を、しかし出席者は黙殺した。開戦前にそれをできていれば、こんなことにはなっていないではないか、と眉をしかめる者が大多数であったし、本人も半ば意識していたからこそ議題の主導権を握らんと欲したらしい。でも、そのための台詞にしては決定打に欠けていたように私は思う。  周辺に人間が住み得る惑星を持たない帝国にとって、外交という役割は一生に一度仕事があるか否かの半ば形骸化したポストだった。一応、今回のような他国との接触という可能性があるから撤廃まではされなかったけれど、積極的に逸材を収集するような真似もされていなかった。所謂ただ働きで残りのキャリアを全うするつもりだったベルノルト・クプハーにとって、今回の失態は青天の霹靂であったのは想像に難くはない。まぁ、だからどうした、と言われれば彼も閉口するしかないのだろうけれど。  本来、道義上の観点から敵国の民衆を扇動し、撤兵を促すクプラーの案は一考の余地はあるのかもしれない。けれど、肝心の相手が今回の武力侵攻について全くもって何の感情も抱いていないのであれば、弾劾して見せたところで徒労に終わるのは目に見えているし、既に開戦されてしまったということは、そういうことでしょう。  人類が広過ぎる宇宙空間に住むということは、団結よりもむしろ分裂を促進するのではないかと私は思う。隣人とすら親しくなれるかも分からないのに、光年単位なんかで離れ始めたらなおさら。物理的にも人類統一連合と帝国は直線距離にしても五百光年もの距離があるとされていた。細かい数字までは自信は無いけれど、要するに、それだけの実感が伴わない距離感が私たちと相手を隔てていた、ということ。物理的にも、そして何より心理的にも。 「開戦を支持しましょう」  ふと、会議に出席していた帝国軍元帥ヴィルヘルト・エーゲンバッハの短いが断固とした一言を発声した。よりによってそれを執行する立場の人間が口にしたものだから、出席者の脳裏に軍事力の行使、という大きなリスクを伴うそれの現実味が一気に増した。複数の出席者からも、微妙な違いこそあれ人類統一連合諸国と一戦を交えようという意見が多く発せられた。  もとより、当然の権利として武力行使は私達の脳裏に浮かんでいたし、世論の感情もまた正義の鉄槌を下さんと声高に叫ぶ風潮にあったと記憶している。でも、出席者らの理性は、しかし、という一言で最後の一歩を出し倦ねる。大なり小なり軍事行動には、同価値の物資と人間の血を神は要求するから。  それまで黙っていた私は、停滞し始めた会議を進める役割を果たさなければならなかった。いや、自分で勝手にそういう種類の強迫観念を持っていただけかもしれないけれど、全員が黙ったら私が何かしらの一石を投じないといけない。そういう、暗黙の規則のようなものがいつもつき纏っているように当時の私には感じられていた。私は壇上から、自分より何倍も長い時間を刻んできた老提督の皺や傷が刻まれた顔を見下ろす形で、言う。 「帝国軍元帥。軍の最高責任者として問います。人類統一連合諸国の艦隊と交戦したとして、勝算はありますか」  人々が呼吸を忘れた様子を肌で感じる。それは、言葉にするにはあまりに自身にとって重すぎ、甘美に過ぎる内容だったから。あるいは、ようやく成人を迎えんとする若過ぎる帝国皇女の乱心を危惧したのかもしれない。ほら、どこにだって何時だっているじゃない。とりあえず断固応戦、みたいな血気盛んなことを責任も無しに口に出してみる権力者が。  少なくとも、私は後者だけは杞憂だとこちらは示すことに決めた。続けて言う。 「仮に勝てたとして、手に残るのはただの鉱山資源でしょう。しかも、それは失って痛いものの、致命傷には至りません。それでも、前線に向かう平氏が血を流すだけの価値を、元帥はお持ちでしょうか」  フォーアライターの母星とするローゼンガルテンは元々人間が住むような天体ではない。今でこそ、特殊な機器を介さずともひとびとが満足に呼吸出来て、人間と共に地球を起源とした動植物が生態系を築いているけれど、鉱物を含めた資源は外部から得るしか手立てはない。多少の遠洋へ足をのばしてでも確保する必要があるわけだ。物資を得るための遠征なんてものを繰り返し、大小様な惑星を採掘し過ぎて瓦解させていた。それでも、将来的な資源を確保することを病的なまでに追求するため、まだ使い潰せる採掘地は外縁部に無数に存在し、それらを管理していた。つまり、件の資源惑星は百単位でやっと数えられる宝島のひとつに過ぎなかった。  帝国国民が信仰を捧げる皇女が、一応は木偶の坊でないらしいと諒解してくれた出席者は、胸をなで下ろすとともに会議の進行の切掛を見いだしたようだった。先ほどまで疎外感を味わっていた外務長官は、我が主君の意を得たり、といった表情で横から発言した。 「では、先方には抗議の嘆願書をお届けし、平和的な解決を」 「その先方とやらを付け上がらせてどうする?」と会話の中心に立っていた帝国元帥が私の方を向いたままその先を制し、「皇女殿下。今後、人類統一連合が行う武力を背景とした要求を行ってくる憂いは言に能わないでしょう。我々は彼らの事情に永遠に服従する訳には行かず、そして、そうする必要性もありません。そういった態度を取るに足るだけの力量を我が祖国が備えていることを示しておくべきでしょう。一度出会ってしまった以上、かの国家と関わらずに存続することは出来ない。帝国の未来を一考すれば、一時は血を流してでも剣を手に取るべきではないかと」 「つまり、勝てる見込みはある、と言いたいのでしょうか」 「少なくとも負けはしないとは断言できます、皇女殿下。我が帝国軍下の三十万隻。その一部を派遣すれば……いや、それだけのことで現地の軍事バランスは我が方へと傾きます。国家を総動員した全面的な戦争への発展は避けるべきではあります。それを避けるための交渉をするにも、ここで一度は戦術的な勝利を華々しく飾ることが求められるでしょう」 「鎧袖一触ということですね。けれど袖を振るう努力にその資源惑星の収支は見合うものでしょうか。いくら我が国の艦隊が優れていても、動かすには国力を少なからず消費します。その点は如何お考えですか」 「それについては、自分から発言を求めたいと存じます」  役人といった面構えの男性を見つめる。財務省の一員らしいまだ三十代程の男は、こちらの視線に冷や汗を欠いたが、それを周囲に悟らせまいと懸命に立ち上がった。手元の資料を円卓中央のモニターに表示させて先の話を補足する。 「資源惑星ラインに置ける鉱山資源は、国内における二次産業五十年分を賄え、長期的に見れば一戦で失われる被害に足るものだと試算されています」 「しかし、肝心の資源惑星の開発状況は目立った進展を見せていませんよね?これから採掘用の施設を設置するにしても……」と私がその報告を修正することを要望すると、 「いえ、この数字は採取、加工に必要な経費を除いた上での、単純な利益高です」  思わぬ返しに言葉を詰まらせる。同時に、実務的な情報と計算を提供してくれたその男性を内心高く評価した。自身の無知を、無配慮を謝罪して、次に元帥に返答する。 「元帥の提言する出兵は、採算に合うものと不肖の身ながら理解はしました」 「いえ。それに、自嘲など不要です。ジークフリーデ皇女殿下、貴女は帝国の長たる御方だ。軽々しく余人に頭を下げるべきではない」  謙虚も過ぎれば、とヴィルヘルトは自分の孫くらいの年齢の皇女を宥めた。より一層、自分が歳不相応のことをやっているな、と私は内心苦笑せざるを得なかった。  現帝国皇女ジークフリーデ・フォン・フォーアライター。  数々の血族間の抗争で年齢というディスアドバンテージを跳ね返し、臣民達に選ばれた皇女。それが私だった。我ながら、偶像崇拝の対象としては上出来かもしれない。禄に外交も知らない人間が最終的な決定権を握っている。自分よりもっと優秀な人間なんているでしょうね、と毒づきたくもなる。ずっとそう思って生きてきたし、現在でもこの思想は変わっていない。  それから様々な部署からの意見に対して、それぞれの専門を通して二度三度の質疑応答が成された。それぞれの文脈から、何の専門家でもない私にも一連の会議の雰囲気を読み取ることは容易だった。帝国は開戦へと傾いているという、一定人数が抱える感情を汲み取ることは私みたいな人間にも造作も無かったから、元帥へ現実的な予測を尋ねる。 「仮に十分な戦力、補給を整えるにして、元帥、帝国軍が被る損害はどれくらいと予想しますか。どんな御旗を飾り立てても、自国の兵士が死ぬことに臣民は過剰に反応しますよ。それに、人類統一連合軍の艦隊は、報告によればほぼ完全に無人化しているのですよね。こちらは、一隻が沈むたびにおびただしい死者がでますが、人類統一連合軍は人的被害に至っては考慮の必要がない」  死んでいく兵士の人数に対して割に合わない、とまではさすがに口にしなかった。自分が責任を持つ、ひとびとの死に少なからぬ倫理的な引け目がない、と言ったら嘘になる。自信は無いけれど一応自分も血の通った人間ではある。けれど、自分が清廉潔白な聖女ではないこともまた自分が、いや、自分だけが知っていた。同時に我ながらよくそんな功利主義者的な考え方を真っ先にできるな、とどこか軽蔑した。 各所からうめき声が漏れていた。相手が戦力を無人化に踏み切っている一方、帝国はその成り立ちからして一歩が、そしてその道程を違えていた。  帝国の発生時期やそのルーツを問うためのデータは残されてはいない。その空白期間が、現在も稼働する国家にとって不都合であるから意図的に破却されたものだとする一種の陰謀論が根強く人々には残されてはいるけれど、皇女という役職を得た私でもその真偽を確かめる術はないし、現在を生きる私を含めた大部分は興味も無かった。  ただ、そんな歴史書の虫食い区間に行われたことはある程度の察しはついていて、そのノウハウは現在の科学や特に生物学の発展にその痕跡を残している。移住可能な惑星を先祖足るひとびとが見つけることは遂に不可能だったようで、決して住み心地は良くなさそうな限りなく無機的な世界を、人間の手によってその遺伝情報を書き換えられた植物たちによって長い時間を掛けて屈服させたらしい。かつて酸素が存在しなかった地球という惑星の生態系の変化を、人為的に早回しで再現したことになる。  そういう一時的な足踏みを挟んだ帝国は、その社会の在り方においては人類統一連合諸国から遅れている。戦場に限らず、人々の日常をオートメーション化することを徹底できていないのだ。自身の一部を未だ占める、貧困層の人々を抱えて生きていくために意図的にその発展速度を落とすような一面が、帝国にはあった。  会議の内容が一方向へ遅効性を持った頃、一人の男性が挙手をした。 「帝国軍参謀本部長のホフマンと申します。本件を議するに当たって共有したい情報があります」 卓上のデジタルデバイスに極小サイズで表示した人名リストを横目で二度三度盗み見してから、ホフマン大佐へ発言を促した。記憶力はいい方だと思っていたのだけれど。男は軍事関係者と言うより無機質なビジネスマンといった声音で発言する。 「先の戦闘に参加した我が帝国艦にもたらした情報から、人類統一連合艦隊は無人統制ネットワークのため、宙域に多数の中継機を展開させていることが観測されています。我が方の妨害電波や宙域の性質上、完全な交信を期すには物量に物を言わせた機器の設置が不可欠なのです」 「確かに、無人艦隊を組織的に運用させるには相互のつながりを途切れさせる訳にはいけませんね」という私の無難な返答にホフマン大佐は首肯し、冗談のつもりか「金は掛かりますが」と付け加えた。 「裏を返せば、相互通信を遮断された場合、無人艦隊は艦隊運動を行えません」 「一隻一隻が独自の判断で動くことは?」   新たな発言者に視線が集まる。ヴィルヘルト元帥の側近を担って出席した若い上級大将であった。本人も反射的だったのか、赤面し謝罪した。私は、運良く記憶の引き出しからその人物の情報を掘り起こすのに成功した。確か、帝国艦隊を率いる提督の中で最年少の人物だった。 「グレーナー少将だったわね、続けなさい」 「はっ、皇女殿下のご記憶に留めて頂き、光栄の極みです」  熱っぽく顔を上気させる二十代と見て取れる若者を、私は無言で見つめる。余計な称賛は無用だと。それを忖度してくれたかどうかは不明だけれど、若い艦隊指揮官はホフマン大佐へ視線を向けた。 「我が帝国艦ですら、各々のコンピューターの判断で隣接艦との接触を自動で回避します。多少の技術的な差異はありましょうが、例えデータリンクが途切れたとしても各艦の自己判断により最低限の艦隊運用は可能なのではないかと」 「つまるところ、貴公は相互リンクを断絶したとしてイコール弱体化には繋がらない。そうおっしゃりたい」 「えぇ」 「恐らくそうはならいないと私は考えています」 「その理由は」 「人類統一連合軍をはじめ、無人兵器は用途上、敵国にコントロール権を奪取されるリスク、人工知能の誤診によりもたらされ得る状況を避けて設計されます。故に無人機はゼロから考えることはなく、未だ我が国の先端研究においても人間の方針ありきなのです。つまり、真の意味で己で考え、自立行動する機能はオミットされていると言えます。人工知能たり得ても、人工生命とは呼べない。これはいくら技術が発達しようが、頭をひねってもどうにもならないのですよ」  二人の議論に思わず、へぇ、等と気が抜けた返事をしそうになるのを押さえ、私は無言で彼の講義に耳を傾けた。 「あくまで、無人艦隊は人類統一連合軍の提督クラスの方針を満たす行動を行うためのソフトウェアをその場で組み上げているという形式をとっているようです。そのため、本部との通信が途絶した時点までの命令を果たすと、それ以降の変化する状況に高次元の決断を行えません」 便利なのか不便なのかわからない構造だな、と感じた。でも、人間が全くいない戦場というのは未だ実現はしていないらしいという要点は納得できた。グレーナーが沈黙したので、ホフマンに問う。 「では、具体的にどう遮断するのです。無数の中継機を逐一破壊するのはあまりに手間ですし、それができるくらいなら初めから奇策を弄せず勝てていることでしょう」 「結論から言えば、敵の心臓部を狙い撃ちにすることになりますな」  それまでホフマン大佐に任せていたヴィルヘルトが後を継いだ。 「少数の人間で大規模な艦隊を統率している。多量の機械を狙うよりどちらを目標とするかは子供にもわかる話です」 「ですが、実行するとなれば話は別でしょう」 生憎この皇女は悲観主義者で、その辞書に楽観主義という項目はない。もっと砕けて言えば心配性なのだ、私は。 「相手の指揮官も案山子ではないでしょう。自分達の護りは堅めるのは常道。そもそも、少数の有人艦を敵軍の中から見つけなければ、狙うも何もありません」 「正しくその、護りが堅いところが有人艦の所在ですよ、皇女殿下。少数を討ち取られることによって戦局が大きく左右される、というのは我々より一歩を進めた軍隊のあり方としては中々に皮肉な話ではありますな。彼らは前線を切り捨てることはそれこそ無機的に、即座に居個なうことが出来る。だが、その分人血を流すことによる衝撃は寧ろ強まったわけです。彼らは戦略的にも、そして恐らく政治的にも指揮官らを失うことは出来ない。故に彼らは奇策を用いることはしない。割に合いませんからな、自分達の命という価値に対して」 「ですが、有人艦を広い範囲に複数に分けて配置すれば、最悪全滅する事態は避けられると愚考しますが」  私の質問に続けて何か言いたげな帝国元帥だったけれど、 「皇女殿下が心配されるような、少数の有人艦隊へと分散、あるいは囮とするリスクを背負った戦法を相手が取る可能性は低いでしょう」とホフマン大佐が割り込んで断言する。話の腰を折られる形となったヴィルヘルトが眉を潜めたものの、彼に発言を譲った。 「まだ接触して僅かな時が経過したばかりですが、情報部では人類統一連合の影くらいは踏めるようになりました。かの国では大規模な戦闘行為は近年経験してないらしく、枠にはまったような保守的な選択肢に依存する風潮が現在形成されているようです。さらに、現場の指揮官クラスは、軍人とは名ばかりの政治家崩れや技術者が多く、それが余計にその性格を助長している。自身の安全面から、全体の確たる勝利のために敢えて己の身を切るような危険を冒すような真似は見られません」  成程、帝国の情報部は優秀だ、友人にはしたくないくらいに。だって、出会って半年もしないうちに腹を探られるなんて、自分のようなやましい心当たりが多いタイプには辛い。そんな感想を、けれど私は表面上には浮かばせなかった。ここで区切りが良く感じたから広げた議題の風呂敷を畳みにかかることにした。 「結局、既に貴方方の大部分は矛を交えるという腹積もりなのですね」 出席者の大半が重々しく頷く、もしくはそれに類似するリアクション。思い返せば、この会議には軍関係者以外にも多くの人間が出席していた筈なのだけれど。自分も含め、軍部の人間に任せるという空気が深層心理に構成されていたらしい。 「では、二時間後に場所は変えず戦略会議を発足します。ヴィルヘルト提督、グレーナー上級大将の両名は上級大将以上の階級の者を招集。本会議は解散します」  私が立ち上がり背後の扉から退席すると列席者もそれぞれの仕事へ向かった。彼らには彼らの役割があった。そして、それを損なうことが、自分の今立っている足場を自分で崩すことになることを誰もが理解していた。だから、退出していく足音は速いリズムであり、緊張的だった。一方私は、退席と言っても会場の諸準備が済むまで別室に待機するだけなので、余分な移動や起立着席は身体をリラックスさせるための運動と割り切って、同時にこう思う。専制君主国家の利点は、話し合いが短くてすむこと。そして、私みたいな責任者は幾つもの話し合いに顔を出さないといけないことがデメリットかしら。そんな風に考えると、少しは気が安らぐような気がしたが、気休めにしかならない。  頭痛がした。自分の責務を果たせと誰かに糾弾されているみたいに。
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