忠義の傘

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 それから数年後の高氏の元服のときである。雨が降っていた。雨粒が大きく、滝に打たれるように身体を沈ませる。  そんな中わざわざ庭で儀式が行われ、高氏は傘も差せず、ずぶ濡れである。屋根のある御所から見下ろす北条高時(ほじょう たかとき)。  時代は鎌倉末期。支配するのは北条一族であった。高氏の先祖である源頼朝が開いた鎌倉幕府を奪った一族である。  北条高時が傘を差して降りてくる。一歩一歩をだらだらと、屈辱を与える快感を踏みしめるように歩いている。ずぶ濡れで膝をつく高氏の一歩手前で立ち止まった。 「濡れたくなければ、傘に入れ」  北条高時の言葉の意味は、己の権力の傘に入れてやる。それを高氏自ら望んで入れと、そう言いたいのだ。  屈辱を示すことは許されない。高氏の一挙手一投足が一族の総意である。この場で反旗を翻すことなどあってはならない。それだけの力が今の足利家にはないのである。  激しさを増す雨。地面を弾く音が高氏をはやし立てているようである。北条高時は差していた傘を傾けた。溜まっていた雨露が一斉に下って、唾を吐きかけるように高氏の頭へ降り注ぐ。  それでも高氏は忠実な犬のように、泥の上に膝間づいて、北条高時の傘に入いるしか術はなかった。見下ろれ笑われたとしても。  その場には師直と直義がいた。高氏同様にずぶ濡れで立っていた。屈辱に震えていた。儀式が終わった後、3人は集った。そして誓い合った。今後一切、雨が降ったとて、傘は差さないと。それは北条打倒の誓いである。  3人は刀を抜いて、天に向かって掲げて刃を重ね合わせた。  三位一体。同じ意志を貫く表明。まだなにも成していない若人たち。そんな子供じみた行為は、10年の時を懸けて実を結ぶ。されど、開いた花は見かけは美しくとも、香りは鼻をつまむほど醜いものであった。劣等感を糧に咲いた憎しみである。
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