忠義の傘

1/8
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 室町時代に高師直(こうの もろなお)という男がいた。この時代には珍しく、名字を持たない武将であった。いや、自ら持とうとはしなかったと言う方が正しいだろう。それはある兄弟のためであった。  師直は源氏の頭領である足利一門に忠誠を誓う一族に生まれた。  師直が初めて言葉をしゃべる頃に生まれたのが、後に室町幕府を開くことになる足利高氏(あしかが たかうじ)。その翌年に生まれたのはその弟、直義(ただよし)である。  まだ忠義など芽生える前の幼き日。山を駆けるのも、川を泳ぐのも、女中にイタズラをするのもいつも3人一緒であった。  まだ師直が元服を済ませていない14歳の時である。山を駆けまわって遊んでいると、畑が野盗に荒らされたと、領地の村人から助けを乞われた。  村人は屋敷に戻って、大人を呼んできてもらうつもりであったが、高氏は己が行くと言い張った。この時、高氏は12歳である。野盗はまだ村にとどまっている。屋敷へ戻っては逃げられてしまうからだと引く気はない。  それに数は3人。ちょうど、師直と直義をいれれば同数である。たかが野盗相手に恐れるわけにはいかないのだと、度胸があって向こう見ずで男気があるのが兄の高氏。  打って変わって弟の直義は、亀のようにしゃがみ込んでいる。歳は11。この場から頑として動かないつもりである。臆病で非力で甘えん坊なのである。  高氏と師直が顔を見あわせてため息をついて、一人で待てるかと問うと、師直の足に子猿のようにしがみ付く。置いていかれるのは嫌なのである。  武士たるものは恐れるな、などと説教をするべきなのだが、高氏と師直はどうも強くは言えないのである。  源氏は武士の頭領。その周りには強者ばかりが集うのだ。虚勢を張って、弱さを隠す。臆病は罪であり、一族の恥でもある。  そんな集団の中で、直義の隠そうともしない臆病な姿に、愛らしいと思ってしまうのだった。師直は直義を背負うと言って、必ず守ると甘やかす。  高氏は野盗と戦うのは己ひとりで十分だと刀を抜いて、特等席でその雄姿を見届けよと、師直の背中を刀で示す。  すると、あっという間に直義は自ら師直の背中に飛び乗った。この扱いやすさも可愛いのである。師直と高氏は二人で笑った。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!