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出会いたくない人
幾多の作品を、1つ1つ命を削る思いで描いても、この作品が人の目に留まるのは、ごく僅か。
そして、その築き上げた物は、いつかただの紙切れとなり、藻屑と消え、自分のことなんて覚えている人は誰もいなくなる。
ましてや、この作品がずっとこの世に残るなんて、この世界の中の1ミクロ程もないだろう。 うまく誰かの心をつかんだとしても、いずれはすぐに忘れ去られる。
でも、運が悪く、時には正反対のような人間と出会ってしまうこともある。彼女はいつでも、だれにでも、簡単に多くの人の心をつかんだ。俺の何十倍も早く。努力もせずに。美しく、細長い腕を前に出して、呼吸をするように自然に歌うだけで、何万人もいる観客は、一気に彼女を見る。
白い楽譜に、ただの黒い文章で書かれた音階と歌詞をただ見るだけで、彼女が声を出すと、虹の色を描き、人の感情をつかみ、操る。
ステージの傍らで、俺はそんな彼女の姿をいつも何度も見ていた。彼女を囲む身近な家族や仲間だってそうだ。彼女といると皆笑顔が絶えず、誰からも愛されている。
そんな彼女が俺は、出会った時から疎ましかった。
頼むから 消えてくれ。
目の前から、いなくなってくれ。
お前みたいな人間とは、最期に出会いたくなかった。
彼女を見れば、俺の全てが欠陥品にしか見えず、生きるのが嫌になる。
「私たちは、いつだって大切な仲間だから」
彼女は、仲間だからと何度も手をさしのべてくる。
傷つけたい、汚してしまいたい、壊してしまいたい。ガラスの破片を飛び散らせて、彼女にその刃を向けても、彼女は純粋無垢な瞳で俺を見て、真っ直ぐと立ち向かってくる。
自分の心を守るために、彼女がいなくなってほしいと願うのに‥
彼女がいなくては、俺は何年も求めて守って来た広いステージに、ベースとして立てない。 皮肉なことに、彼女が同じメンバーでいることが、俺が今を生き、この世に存在している証だった。
だから俺は決めた。 君と最期に出会う運命が避けられないのなら、君が願うこと1つだけでも、逆らおうと。
「お願いだから‥生きて‥‥」
彼女が生きてという、この残りの人生を捨てると決めた。 この体は、手術しなければ医者から死ぬと言われているから、延命はもうしないと。 俺だけは、彼女の願う思い通りにはならない。なんでも彼女に与えられる人間には絶対ならない。
「私は、ずっとあなたを好きだから。絶対に助けるから‥」
人の苦しみも悲しみも縁が遠い君が、俺は嫌いだから。 醜く嫉妬しているから。彼女の心にずっと忘れられなくなるように、俺は彼女の望みを叶えない。
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