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今、オレは何を考えていた?
……何だろう。小さな胸騒ぎのようなものを感じる。
『―――から、……――あげる』
まただ、さっきの声……!
(う……、……?)
真っ赤な色が脳を染め上げた。ずきりとした重い痛みが胸を突き刺す。
(げ、何……何?)
「ってぇ……」
思わず心臓のあたりをおさえる。脳裏に神社の鳥居の残像が瞬いた。
(あ……)
オレは振り返った。神社だ。知っている。
実家のアパートがあるのは、細い小川に周囲を囲まれた丘のふもと。丘のてっぺんには、昔から古い神社がある。そう、今ここからも見えるあのこんもりとした樹木のあたりだ。
(あの神社で遊んでた。オレ、でも、一人だった……? いや、もう一人? 誰だったっけ……いつも、居て……)
唐突に思い出した記憶にびっくりすると同時、胸の痛みがまるで警鐘のように更に強くオレを襲ってくる。
『まだ思い出すな……思い出すな……――』
脂汗が額を伝った。こんなふうになるのは初めてだった。
(これ、何か、やばいんじゃないのか?)
ワアワアと周囲一帯から大勢で叫ばれているような耳鳴りと、殴打されるような胸痛に思わずしゃがみ込む。何かの病気の発作にでもなったんだろうか。ガクガクと手を震わせながら両腕で身体を抱え込んで、オレは恐怖に慄いた。
いやだ、怖い、怖い……!
(まだ死にたくない!!)
「大丈夫ですか!?」
さっ、と誰かに支えられる感触。咄嗟に世界は切り替わる。痛みと耳鳴りが嘘のようにさあっと引いて行った。
「えッ……あ……」
オレはギュッと瞑ったまま強張ってしまった瞼をおそるおそる開ける。眼の前に、同年代くらいの男の顔があった。
短めの黒髪に強い光を宿す漆黒の瞳。目鼻立ちのはっきりした、控えめに言っても美形の男だった。少し垂れ目気味の双眸のせいで外国人のようなミステリアスさを感じさせる。落ち着きがあり一瞬年上に見えたが、声質や顔立ちにはまだ学生らしい若さが残っている。
こんな顔の俳優、居た気がする。
(いや……、そ、そうじゃないだろ)
オレは多少パニックに陥った。
「あ、すんません、オレ……」
「倒れそうになってたから。体調、悪いんですか」
男は大きな手のひらでオレの両肩をさするようにして、立ち上がろうとするのを支えてくれた。見知らぬ人にこんな風に優しくされたこともなく、動揺しながら返事をする。
「いや、全然……あ、でも、なんか胸が痛くて……。い、今だけです、……も、もう大丈夫です……」
しどろもどろに答えると、男は可笑しそうに笑った。健康そうな顔立ちによく似合う、屈託のない少年のような表情だった。
「ああ、ほんと、驚いた」
そりゃ驚くだろう、とオレは赤面する。眼の前で人が険しい顔してしゃがみ込んだら誰だって困るよな。何だか急に恥ずかしくなってきて、小さく頭を下げ、さっさとその場を去ろうとした。
だが動けない。あれ? と思うと、男はまだオレの肩を掴まえていた。
「あ、あの?」
「ああ、いや……」
その時男の手がわずか震えているような気がした。
(え?)
気のせいだろうか。そう思ってもう一度相手を見上げる。俺より五センチ以上背の高い男の顔は、別に緊張しているようには見えなかった。
若干悪戯っ気のある笑みを見せる。
「……ああ、やっぱり直花だ」
その『ナオカ』の響きに、どきりと胸が疼いた。
(オレの名前……)
あれ? オレ、こいつのこと、知っている。そう思った。
「えっ、と……?」
「芦屋、直花……だよな? 俺、カガ、ユイだよ。『加賀結』。一ッコ学年が下の。結って呼んでくれてただろ?」
「……カガ……ユイ」
名前に覚えはない。だけど。
(何か……)
眼の前の男はオレの反応を気にせず続ける。自分本位な態度なのに、感じの良い喋り方をするからか、嫌な印象はどこにもなかった。
「なんだ、戻ってたの? ほんと驚かすなよ……」
オレはどくどくと血管が脈打つのを感じる。
(『結』…………。知ってる、でも……)
知ってるはずなのに、わからない。顔を見ても、声を聞いても、懐かしさだけが蘇ってきて記憶が戻らない。不思議な感覚だった。
相手だけが、感極まったように眉を下げて、泣き笑いのような表情をした。
「なあ、直花……会いたかった」
掠れた声に、なぜかオレの心臓は小さく跳ねた。
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