―傍で、温めて―

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 熱を放ち切った彼はこちらから瞳を逸らすように、抱き込んでいてくれた肩を解放すると午後診療のために服を身につけ始めた。  向けられた背中には自分が付けてしまったのであろう、数本の赤い痕。  そこだけは自分の所有物の様で、宝物のようなその場所を見つめているだけで、ぎゅっと喉元に何かが詰まる感覚に苦しくなる。 「総武」  アイツの代わりに抱かれた後に、そう呟いたのは自分の醜い部分。  そんなに似ているなら、どうして自分では駄目なのだ。そんなに似ているなら、代わりにすれば良い。自分をアイツと思ってくれれば良い。そんな醜い感情が自分の中で渦巻く。  驚いたように振り向いた彼は、大切な人に成り代わる為の台詞を口にした自分を静かに見つめた。  悪い冗談だと責める訳でもなく、怒る訳でもなく、静かに自分を見つめてくる。  そして、フッと、少し悲しそうに吐息を零した。 「タクイはタクイだ」  また、その言葉。  胸が一層苦しくなる。そんな言葉は要らない。そんなこと知っている。自分は自分で、アイツではない。  アイツが戻ってくれば、自分はここを出て行かなければならない存在。そんなこと分かっている。  背中を向けた彼は身なりを整えると、当然のように、自身の机の引き出しに手を掛けた。そして、何かを思い出したようにこちらを振り向く。  引き出しには、あのドロップ缶が入っていた。 「ドロップ、食っても良いか?」  気遣わし気に向けられた瞳。  彼が当然のようにその引き出しに手を掛けたという事は、いつもアイツと体を重ねた後はドロップを口にしていたという事なのだろう。そして缶を見るだけでもパニックを起こす自分に、窺いを立ててまで口にしたいのだ。  アイツとの行為をなぞるために。  それでも良いと思っていたのに、アイツの代わりに抱かれた事にモーターが停止しそうになる。 「別ニ良イ」  そう答えるしかなかった。  出来るだけ缶を視界に入れたくなくて、彼との行為に疲れた躰をもう一度ベッドに戻し、彼に背を向ける。  背後でカラカラと音が響く。  瞳に写さない代わりに、体中の神経を総動員して彼の動きを追っていた。  甘い香りが辺りを包む事を覚悟した時、彼の動きと共に自分を撫でて行ったのは、スッと冷たい風のような香りだった。  それはいつも、彼が身に纏っている香り。 「エ」 「どうした」 「匂イ……甘クナイ」  同じ缶に入っているのに、自分の記憶に染み付いた甘ったるい匂いとまったく違う。 「ああ、薄荷だからな」 「薄荷? 薄荷ハ甘クナイノカ」 「これでも俺には十分甘い」  誰には甘くない味なのかは、言われなくても分かる。 「ドクターノ所ニアッタ缶ノ中ニワ、入ッテナカッタ筈ダ。ソンナ香リ、嗅イダ事ナイ」 「全部の缶に入ってるはずだぞ。タクイも食ってみるか」  わざわざこちらに背を向けて、缶が目に入らないようにしてくれながら、一粒を掌に出して差し出された。  真っ白い粒。やはり自分の記憶の中にはないドロップの色だ。そう言えば先程ぶちまけた缶の中にも入っていなかった。 「見タコトナイ色ダ。アイツノ部屋ニアッタ缶ノ中ニモ入ッテナカッタゾ」 「アイツは、このままの薄荷を食わないから、全部俺に寄越してきやがる。アイツの缶は色とりどりだったろ。ドロップを買ってくるたび、最初にする作業は、全部の缶を開けて薄荷を取り除く事だから。俺の缶にはアイツが避けた薄荷しか入ってない」  苦笑しながらも幸せそうな彼の顔。その顔が幸せな二人の時間を恋しがっている。  どれ程熱を分け合っても、代わりは代わり。思い知る。  自分の中に彼から注がれた滾る様な熱も、自分が吐き出した放埓も、互いが求める者への想い。抱き締める腕の強さは、求める想いの強さ。それは互いに同じなのに、確かな想いは求める先が違っている。  ――アイツを探しに行こう。  彼の為だけではなく、自分の想いの為にも。
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