―傍で、温めて―

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 いつの間にか白い静寂の中に落ちていた意識が、固く冷たい音を拾った。 「ン……」  動かすのが億劫なほど疲弊した躰で寝返りを打つと、そこは仄温かいだけの空間だった。 「先生」  呼びかけたものの返答はない。まだ午後診療の最中だろうか。彼の部屋には目に付く時計が無く、時間が分からない。  体を重ねた後、彼は色々汚しまくったものを綺麗に片づけ、さらに、こちらの体まで綺麗にしてしまうと「動けないだろ。ここで寝ていろ」と言いおいて、午後診療の準備に向かった。  確かに気怠い体を起こすにはもう少し時間が欲しいと、彼の言葉に甘えてベッドへ横になったが、そのまま僅かな時間、寝落ちてしまったらしい。  少し軋む足を畳に下ろす。下着とTシャツだけを身につけて部屋から出て、彼の気配を窺った。  すると一階の台所の方から、彼の声がする。どうやら先程、無意識に拾った音は電話のコール音だったようだ。準備を終えた所だったのか、白衣の彼は階段に背を向けて応対していた。  ゆっくりと階段を下りて行く。彼には気付かれないように。  自分にそうさせてしまう程、彼の声は固く、今にも切れてしまいそうな緊張の糸が張られている。 「彼はここに居ますよ」  低く放たれた一言に、ビクリと足が止まった。  体中の熱が一気に下がって行く。  〝彼〟とは誰だ? 彼は誰と話しをしているんだ?  グルグルと急転するモーターが嫌な振動音を響かせながら、アラームの様な音を立てている。 「そうです、ずっと此処に居ます。そういう所、本当に相変わらずですね、泉美先生」  呼びかけた名前に完全に硬直した。  二人の博士は『泉美』と言った。  とうとう彼等に自分の居場所が知られてしまった。それも彼が知らせるという、一番悲しい方法で。  あの話し方では、元々彼は博士達と知り合いだったのだろう。  全身の力が抜けていくのが分かる。  しゃがみ込みたがる体を叱咤して、来た道を戻る。どうにか二階まで戻ったが、今知ったばかりのデータが混乱して、上手く次の行動に繋げられない。  早くここを出る準備をしなければ。  早く。早く。  彼等が来てしまう前に。  もう一度、闇に落とされる前に。  だけれども、ここを出て何処に行くというのだ。結局行くあてなんてない。あるのは不安と孤独が漂う闇だけ。  ずるずると引き摺って来た体が、彼の部屋の前で動かなくなってしまった。あともう数歩で自分の部屋へと、アイツの部屋へと行けるのに。  自分が襖戸を開けたまま出て来たせいで、彼の部屋の中が丸見えになっている。  寝乱れたベッドの上も、微かに香る彼の匂いも。それに誘われるように、自分の記憶回路が、彼の熱や自分の想いを蘇らせていく。  これはアイツの代わりに納まろうとした罰だろうか。自分の事ばかりを考えて、あざとく彼に抱かれた罰なのだろうか。  彼は自分を抱いた事で、アイツとの違いを明確に認識して、自分を追い出す事を決めてしまったのかもしれない。  彼の求めた形はやっぱり自分ではなく、アイツでしかなかったとハッキリと答えが出たのだ。  『タクイはタクイだ』そう言った言葉のままに。自分は自分でしかなった。アイツにはなれなかった。  彼にはアイツしかいない。アイツしか求めていない。自分は彼に幸せで居て欲しい。いつも孤独な彼の傍に、自分が必要でないのなら、アイツが戻って来るのが当然だ。  そうだ。彼の為に、自分の為に、アイツを探しに行こうと思っていたのだった。  あの、幸せな温もりの中で。
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