―傍で、温めて―

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 やはり、夜は怖い。  それでも道を歩けば街灯が点っているし、初夏の風に誘われて窓を開けている家からは、人の気配やテレビの声などが微かに漏れ聞こえてくる。  アイツを探す。  そう決意したものの、術が見つからなかった。考えてみれば自分と間違われる程顔が似ているらしいが、実際に顔を見た事は無い。可笑しなことに彼の部屋にも、アイツの部屋にも、二人で写った写真どころか、互いの写真が一枚もなかった。  彼が再び戻った午後診療を終える前に、気付かれないように家を出るには時間が少なかったので、探し切れてないのだろうか。一見しただけでは見当たらなかったので、二人の思い出の場所も、アイツが行きそうな場所も分からずに、ただあの家を出てくるという形になってしまった。  ただ虹空の本だけを手に。  消された自分のヒントになるかもしれないと思っていたこの本だけが、アイツの唯一の手掛かりになった皮肉。  彼の家に居る時は時々アイツの思い出がシンクロしてきたけれど、今は全く何も感じない。どうせ他人の体を乗っ取るなら、こんな時にシンクロしてくれれば良いのに。  コンビニの店員になってはいないかと店に入り、ファミレスで働いていないかと覗き込み、自分の顔に似た男が働いている場所を知らないかと聞いて回る。  途方もなく彷徨って数時間。夜もすっかり更けてしまい、店は二十四時間開いているという店以外はすっかり閉店してしまった。  先程まで漂っていた人間達の気配も既にない。自分の思考回路も休憩を欲している。今夜の気温なら野宿をしても調子が悪くなる事もないだろう。ただ、明りは欲しい。やはり真っ暗は息が詰まる。  どれくらい歩いて来たのかは分からない。居場所を知られてしまった博士達に、何時見つかるかも分からない。いつ彼に拾われた時みたいにエネルギーが切れるかも分からない。そんな恐怖から体が小刻みに揺れる。  名前があるのかも微妙なほど小さな公園の、街灯の下にベンチを見つけ腰を下ろした。  その瞬間、腰の奥に感じた鈍い痛みに、昼間彼に抱かれた体の違和感が、まだ消えていなかった事に気付く。 「温カカッタナ」  彼の体温を思い出し、腕の強さを思い出す。  知らず本を抱き締めた。アイツがこの本で伝えたかった事はきっと、二匹で一匹の虹の奇跡。それを知る幸せ。  ふわりとどこからか、彼の香りが届いた気がした。あのスッとする薄荷の香り。  そんなはずなどないのに、彼が探しに来てくれたのかと、わずかな期待に顔を上げる。――やはりそこに彼の姿などなかった。  彼はあの家でアイツの帰りを待っているのだ。自分を博士達に引き渡して、あの家でたった一人、大切な人を待ち続ける。  フワリと漂った香りは顔を上げた事で、自分の服に染み込んだ彼の家の香りだと気がついた。まったく紛らわしい。 「……何ヤッテンダロウ」  ポツリ呟くと、いきなり背後から力任せな荒々しさで、羽交い絞めにされた。  あまりの力強さと、驚きに声も出ない。  とうとう捕まった。失敗した。そうだ居場所を知った博士達が、即動かないわけがないのだ。  連れ戻されるのを覚悟して、体から力を抜く。抵抗はしない。自分の力では無理な事を嫌という程知っているから。  しかし抵抗しないと表しているのに、力を抜いてくれない。博士やドクターに、よほど逃がすなと厳命を受けたのに違いない。  仕方ない。「もう、逃げない」と一言いってやろう。  一つ溜息を吐き、軽く身動ぎすると、更に強い力で抱き締められる。  ――抱き締められる? 「どうして、何も言わずに消える!」  状況の不自然さに気付いたのと、怒鳴られたのは同時だった。 「先……生?」  「どうして?」その言葉が思考回路をグルグルと回っている。  答えが出ないまま彼を振り返って初めて、背後にも小さな入口があった事に気が付いた。  先程よりも強く香る薄荷は、彼から確かに漂ってくる。 「迎エニ来テクレタノカ」 「当たり前だろっ」  相当怒っている彼の口調は、今まで聞いたことがないくらい低くて鋭い。 「俺には、お前だけしか居ない」  そんな分かり切った嘘をつかないでほしい。 「アイツガ居ルダロ」  帰って来ない人を想うよりも、傍に居るそっくりな代用品でも良いと思ったのだろうか。だったら、どうして彼は自分の居場所を博士達に言ってしまったのだろう。 「〝たくい〟だけなんだ」  掠れた声の彼は、抱き締めていたこの体の向きを変え、真正面からもう一度、大事そうに腕に包み直す。
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