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腕が一瞬熱くなり、意識が浮上する。
瞼を上げるのが凄く億劫なほど重たくて、それでも腕の熱さの原因を確認したくて、視界を開いた。
白い世界。
(でも、天国じゃない)
残念でいて、ホッとしたような感覚に囚われながら、視界の端に入った見慣れた液体パックに溜息をつく。パックから繋がる細い管の先を追うと、案の定、自分の腕に針を通して入り込んでいる。
(あぁ……捕まったのか……)
エネルギーの足りない自分に対して、いつもドクターが繋ぐ液体パック。
嫌で、嫌で。彼らの元から逃げ出して来たはずだったのに、結局捕まり、連れ戻されてしまったようだ。意識が無くなる直前に聞いた声もドクターか、博士二人の誰かの声だったのだろう。
視線をうろりと彷徨わせると、枕元に置かれた本を捉える。変わらない虹空の表紙。漆黒の中の白い光に幸せを映し、刹那に見た天国の夢が本当に滑稽に思えて来る。
「馬鹿ダナ……俺」
アンドロイドに夢も天国もあるわけがないのに。
零れる吐息に嗤いが混じった。
「デモ、ドクターノ病室ト、少シ違ウ」
見上げるだけの天井には、いつもと少し違う場所に付いた蛍光灯。
ドクターの病室には無かった窓から見える景色は、施設がある山の中とは違い、人間達の住む家々と、重い雲が広がる夜空から降り出した、雨粒のカーテン。
博士の家も、ドクターの施設も、最高プログラミングのアンドロイドに逃げだされては困るからと、行動を制限され、与えられた部屋には必ず見張りが居た。部屋から出る時は、行き先と目的を告げるルールだった。
しかしこの部屋には見張りの人間が見当たらない。最初はドアの向こうに居るのかと思ったが、人の気配すら感じない。
動かせる範囲で顔を動かし、あれこれ見遣っていると、いきなり、バンッ! と大きな音を立てて部屋のドアが開かれた。
(――?)
いつもと少し違う白い世界に、ドクターと同じ白い服を着た、ドクターとは違う男が現れる。年も随分若い。新しく来た研究員だろうか。
驚きのあまり声も出せずただ見つめるだけしか出来ない自分に向かって、長身の男は長い脚をズカズカと忙しく動かし勢い良く近づいてくると、寝たままの自分に覆い被さるようにして力いっぱい羽交い絞めにした。
(! しまったっ! やっぱり博士達の仲間かっ)
焦って踠いていると、さらに力を込められてしまう。
「心配しただろっ」
(――っ?!――)
いきなり耳元で怒鳴られて体が強張る。
「連絡ぐらい入れろよっ。いったい何があった?!」
「っっっっ!」
怖いくらい真剣な顔に気圧されるが、この男も博士やドクターの仲間なのだ。博士もドクターも、自分が見つかったと連絡を受けて、もうすぐここにやって来る。それまでに逃げなければ。ぐずぐずしているとまた施設に連れ戻されてしまう。
「道端で倒れているお前を見つけて心臓が止まるかと思ったぞ‼」
(そりゃ大事な研究材料に何かあったら、皆大変だもんな)
言葉にはせずに毒づいて再び踠きだした途端、男は何かに気付いたように体を離し、奇妙に眉を寄せてこちらの顔を覗き込んで来た。
「た……く……?」
何か不思議な響きの問い掛けに、体が自然に止まる。
男を見上げると、男の瞳も不思議な感じで揺れていて、少し不安になった。
「ソレハ何? 君ハ……誰?」
自分が発した言葉に、男は零れるかと思うほど目を大きく開いて固まった。
「――沢……――」
もう一度ポトリと落ちるように呟いて、そのまま停止している。あまりにも動かないので、こちらからも手を伸ばし男の手を握り軽く引いた。
「君モ、アンドロイド? 停止シチャッタノカ? スイッチハ何処ダ」
「え」
ビクリと男の体が震え、その揺れる瞳がもう一度こちらを向いた。
「アンド……ロイド」
「ウン。俺ハ、アンドロイド。君ワドクターノ所ノ研究員ジャナイノカ? 博士達ノ仲間ジャナイノカ?」
「博士? ドクター?」
訝しげに眉を寄せ、何かを見つけようとするかのようにこちらを見つめる男は、こちらから握った手を強く握り返して来る。
「博士ワ俺ヲ造リ出シタ2人ノ人間。ドクターワ俺ノ、システムメンテナンス、特ニ行動抑制、思考回路ノ調整ヲスル人間」
博士の言葉ばかりを繰り返し、それが当たり前のようにその言葉に従う。
人工脳が成長する内にそれが苦痛になり、博士が行えと命じた行動に応じず、こちらの行動が命令と違うと感じる部分が多くなると、博士はドクターの元に通わせて、メンテナンスを受けさせる。
自分が人工脳を植え付けられたばかりの頃を思い出し、体が自然と小さく震え出した。一度、枕元の虹空に視線を遣り、モーターが落ち着く様にと努める。
正直、博士達との違いによる苦痛は覚えていない。ドクターの施設から戻ると、いつも施設に行く直前の出来事を記憶しているかと問われ、確認の様な行動指令を出された。
自分が覚えているのは、施設でメンテナンスを行われる直前の甘い香りと、落ちる漆黒の闇だけ。そうして常に手元に置いていた本。
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