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そしてアイツは、これからの事、彼との事、全てを前向きに話し合いたいという両親の言葉をメールで受け取る。
「何考えてるんだか。行かないって」
タブレットのメール画面を胡散臭そうに眺める沢意に、総武は思わず笑った。
明らかに不機嫌な沢意の姿は珍しい。
「行って、全部話してくれば」
「行かない。何企んでるか知れない」
くさくさと言い、大切にしている自作の本を気晴らしに捲っている。
芸大入学の切っ掛けになった虹の絵を沢意はその後も描き続け、自作で本の形にしていた。
「善処するって事なんだろ。俺は縁切りより、お前だけは両親に愛されてて欲しいけど」
零した想いに、言葉は一瞬返って来なかった。キュッと引き結んだ口元が、緩く開いたのは、ゆうに数分経ってから。
「……愛し方、間違ってるって伝えてくる」
今にも泣きそうな顔で、抱きついてくる体をぎゅっと抱き締めて、お互いの存在の大きさを知る。
「どんな事があっても、総武の所に帰って来るから」
「大袈裟だな」
「絶対帰って来るから。待ってて」
「……待ってる」
「そう言って出掛けたっきり、アイツは姿を消した。待っててと言われた。待ってると約束した。自分で行けと言ったのに、それでも置いて行かれた不安は消えない」
その瞳はどの過去を映しているのだろうか。
幾つもあった彼の中の別れ。それが傷になっている事に気付いて寄り添っていたアイツ。
「だから探した。アンタ達の元に電話をして、居ないと言われた後も、近所の住人が見ていないか聞きまわった。どれだけ探しても見つからなくて、途方に暮れかけた時、アイツは戻って来た」
「エ」
「どんな事があっても戻って来ると言った言葉のままに、自分が誰かも忘れてしまったままで、それでも、俺の元まで帰って来た」
そう言いながらゆっくりと腕を引いて、ベッドの上に起こされる。
今度はゆっくりだったので頭が揺れることは無かったが、彼の台詞が頭の中を回っている。
「沢意は、どんな時でも沢意だった。どれ程記憶を弄られても、芯のしなやかさと孤独に寄り添う優しさはそのままだった。だからそのままでも良い。いつか自然に思い出すまで、今度は俺が、傍に寄り添っていようと思ってた」
彼はアイツの事を話していたはずなのに、いつしか自分の事になっている。
「だけど最近、沢意と今の自分との間で苦しみ始めているのに気が付いた。どれだけ、お前はお前だと言い聞かせても、忘れた自分と比べて苦しんでたろ」
覗き込まれても答えが返せない。
彼の話しを聞いていると、アイツと自分が同じ人間だと言っているようで。
「俺ハ、アンドロイドダロ」
「違う。タクイがアイツだ」
言われている事は分かるが、理解が出来ない。
自分は〝アイツだった頃〟を忘れているということなんだろうか。だったら、思い出したら今の自分は何処に行くのか。
「先生……ワ、思イ出シテ欲シイ」
「タクイが苦しむなら」
「俺ガ消エテモ」
今ここに居て、彼を想っている自分が消えるかもしれない。そんな不安や恐怖が体中を浸していく。
そんな感覚を知っている。――それは、何故?
沢意の本が枕元に置かれていた。そっと手に取り、表紙を外した。
自作だったからタイトルも作者名も無かった本。だからこそ博士二人に排除されず、ずっと手元にあった。
「奇跡」
見えない様に書かれた文字たちが、消された自分の……――アイツの叫びだった。
「見テ」
そっと本を差し出すと彼は一瞬、何のことか分からず首を傾げたが、一部分を凝視すると、苦しそうに「沢意」と吐息で叫んだ。
そんな彼を見ていられず横を向くと、二人の博士とドクターがそれぞれの表情で、こちらを見つめていた。
博士二人は、複雑な、何か喉元に大きな物を詰めた息苦しそうな顔で。ドクターはただ興味津津と愉快そうに。
「言っただろ。タクイは沢意だ。消えたりしない」
彼の方が痛みに耐える様な瞳で、想いが詰まった文字で埋まる表紙を撫でる。
「ここに、居る」
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