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闇から抜け出すのは、いつも博士の家にある自室のベッドの上。
自室と言っても、読み尽くした児童書ばかりが並ぶ本棚と、ヒューマノイドとして造られた自分の為に、最低限の清潔な生活が出来るようにと、風呂とトイレも備え付けられた部屋。
そんな部屋の中、目覚めた後はいつも博士達との会話の中でズレが多く、二人との不可解な会話が続く度に、メンテナンスの際に消されているデータが多くあるのだろうと、自然に気が付いた。
データ消失に気が付いている事を三人に知られたら、それこそ全てを消されてしまうかもしれないと、決して口にはしなかった。
ただ、何を消されたのかが分からない。
自分の中にあった、彼らに不必要なモノ。
造られた自分でも、こうして意思を持たされた。だからこその行動だったはずだ。しかし、いくら考えても分からないし、自分の中には戻って来ない。
その、恐怖。
何かないかと部屋を探しても記録は無く、児童書以外にある本は虹空の本のみ。七色にとどまらず、空を重ねることで極彩色になる虹は、写真ではなく絵だった。
言葉が添えられていない、美しい虹と空の本。
自分は、どうしてこの一冊だけを手元に置いたのか。そこに消されたモノがある。
本を手にギュルギュルと不規則に回るモーターに追われた瞬間、縋る様に抱き締めた虹空の本は何かを知らせるかの如く、スルリと表紙から抜け落ち、美しく細かいモザイク柄の本体が現れた。
「デモ、違ッタ」
――奇跡。キセキ。きせき。虹。ふたり。一つ。――
驚くことにそれは極小サイズで書かれた文字。
博士たちに気が付かれないよう表紙で隠し、一瞬だけでは判別もできないほど模様に見えるようカモフラージュまでして、びっしりと書かれたそれを見て、消される前の自分の苦しみを悟った。
「気付イタラ、怖クテ逃ゲル事シカ考エラレナカッタ。ダカラ逃ゲタ」
「お……前……」
そのまま男は再び眉根を寄せて、今度は目を閉じてしまった。それは何か〝苦しい〟時の顔だとインプットされている。
「〝お前〟ワ男ノ博士ガ呼ブ。女ノ博士ト、ドクターハ〝貴方〟ト呼ブ。ドチラカガ俺ノ名前ダナ」
「それは名前じゃないっ」
こちらを見ないまま男は怒る。喉をグッと奇妙に鳴らして、その苦しそうな顔をこちらに向けた。
「俺は石竹総武」
「〝お前〟ヤ〝貴方〟ガ俺ノ名前ジャナイナラ、俺ノ名前ナンテ無イ」
「名前が無いのなら、俺が付けてやる」
強く握っていた手を解き、彼は漸く薄く笑った。
それは誰が見ても無理をしていると分かる顔ではあったが、自分に向けられた初めての笑顔だった。
「お前は〝タクイ〟」
「タクイ?」
「そうだ。タクイ」
「……タクイ……。タクイ……っっ」
何度も、何度も呟いて、その名前が自分の体に染み入って行くのを感じる。
自然とこちらも笑顔になっていた。彼に微笑みかけるように視線を合わせると、彼は再び眉を寄せてソッポを向いてしまう。
「アイツじゃない」
聞きとれるギリギリの声でポツリと呟かれた声の低さに驚いて、思わず笑顔を引っ込める。その横顔を見つめると彼は更に表情を隠すように俯いてしまった。
「アイツ?」
彼の様子から聞きたがってはいけないと思いつつも、思わず口から零れていた言葉は彼の耳にも届いてしまう。
「最初にタクイと間違えたヤツだ。悪かったな。勘違いとは言え何も知らないお前に怒鳴り散らして」
彼が間違えるほど自分と〝アイツ〟は似ているのだろうか。
「〝アイツ〟ヲ、探シテル?」
問い掛けた言葉には無言が返って来た。それが答えなのだと思った。今夜もきっと、彼は〝アイツ〟を探している途中、間違えて似ている自分を拾ってしまったのだ。
「俺モ探ソウカ」
「どうして」
「アイツッテ人ガ君ニトッテ、トテモ必要ソウダカラ」
何か確信があったからではない。ただ「アイツじゃない」と呟いた彼の姿は、とても心許無くて、「お前じゃダメなんだ」と自分に言われている気がした。
それは博士達の元に居た時に、ずっと味わっていた感覚。
そう。博士二人も〝誰か〟を求めて俺を造ったのに俺ではダメで、『お前は、あの子じゃない』と言っては、さっきの彼のように苦い顔をした。
自分はいつも、誰かになり損ねる。
傍に居る人間達は、いつも誰かを求めていて、でもその代用品の自分じゃダメで。
――ダメで――。
「……此処デモナイ……」
「どうした」
吐息のように小さく呟いた言葉だったのに、いつも博士達は聞き逃す囁き程の声を、それでも彼は聞き逃さないでいてくれた。
「君モ俺ジャ駄目ナンダト思ッテ」
諦めた声で嗤った自分に、問い掛ける彼の瞳が向けられた。
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