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私は最初、誰ひとり嫌いじゃなかった。
私が巨大なそこから袂を分かった時、そもそも感情は微塵も存在しなかった。
理由は簡単で、私の体に碌なものが根付いていなかったからだ。
やがて私の心の中に、ポツポツと『嫌』という思いが現れ始めた。
発生元は、小さな生き者たちの心の中。敵を見て警戒する、危険を知らせる、餌が少ない場所を避けるなど。どれも生きる為に必要な、弱いシグナルだった。
弱い脈動でも負の感情には違いない。周囲の不快さが影響して生まれたにも関わらず、小さな者たちが他者を恨む事はなかった。
信号は自分の中に沸きあがって、持ち主に気づきを与える為だけに存在していた。だから本人が反応すれば、役割を果たし消えていく。
その存在意義は、ずるずると後腐れの残らない、消耗品の使い心地に似ていた。
だからそんな感情をいくつ拾い上げたとしても、総意としての私に何の影響があろうか?
時は経ち、私の版図に明確に『嫌い』の感情を備える存在が現れた。
そいつらは、一人ひとりが原始的で乱暴で、お世辞にも美しいとか可愛いとかの形容はできない、醜い生き物だった。
これまでも似たような生き物は生まれてきた。
けれど彼らがどれとも異なるのは、放つ感情の鼓動のひとつひとつが、殊更に強烈だったという事。
この強さで成長を続ければ、いずれ私の『感情』に影響を与えるだろう。その事は容易に想像できた。
しかしまだ、無視できる範囲だ。とりあえず私はこの黒く汚い者たちに、定かでない者という意味の『イフ』という名を授け、このまま観察を続けることにした。
イフたちの『嫌い』の特徴をひとつ上げるとすれば、その感情の方向が極端に他の生き物に対して向けられている、という点だ。
これまで私が養ってきた者たちは、生き残る為にしか『嫌い』を使わなかった。
「嫌いな相手に反応しなければ、食べられてしまう」
「恋敵を嫌いになって遠ざけなければ、子孫が残せない」
そんな具体的な目的の為のセンサーやバリアのような用途だった。
原始の生物たちの生き方は、本当に単純で美しいものだ。敵に襲われ、全力で逃げて、最後に食べられる段階になったとしても、喰らいつく相手を嫌いになれない程、優しさにあふれていた。
それなのにイフたちときたら――彼らは自分が満足する為なら何にでも『嫌う』を使った。
奪うために嬲り、楽しむために殺す。その理由を相手が『嫌い』だからと、堂々と言い張る。
何という短絡的な発想をする生き物だろうか。
こんな醜く黒い輩に、私の真っ白な感情が汚されるのは本当に嫌だった。
どうせイフのような生物は、時と共に淘汰されるだろう。そう予想した私は、彼らを容認してしまった。
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