五 決意

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 日は沈み、月のない夜が訪れた。学校は職員室をのぞいてほとんどの部屋から明かりが消え、教師たちも少しずつ家に帰り始めた。  現在、六時半。一朗はそうじ用具入れのロッカーに入ったまま、超人の耳でしんぼう強く職員室の様子を探っていた。早乙女先生は仕事をだいたい終わらせたらしく、職員室をはなれたようだ。彼は一人で教室の方にやってくる。階段を上り、五年生の教室に向かっている。  一朗はロッカーを内側から開けて、静かに体を出した。今いるのは、真っ暗な三年二組の教室だ。なぜ三年二組の教室かと言えば、おそらく早乙女先生が一人でやってくるのは担任の五年二組の教室で、そこから少しはなれていた方がいいと思ったからだ。  先生は一朗の予想通り、五年二組の教室に入ったようだ。一朗も忍び足で後を追う。下駄箱に返してあるので、上ばきははいていない。服の内側の二の腕にはキンコジをはめているが、さらにその下には、灰色のインナーを着ている。変身するつもりはないが、このインナーは鉄の何倍も丈夫らしいからだ。念には念を入れておいた方がいい。  ろうかにも階段にも明かりはなく、白と緑の非常口マークだけが光っている。それを見て、にげた方がいいのだろうか、という思いが一朗の頭をよぎった。が、すぐに彼は首を横にふって思った。もし早乙女先生が大童鬼なら、一刻も早くその力を封印しなくてはいけない。先生が異常かそうでないかは、もう間もなく分かるのだ、と。  一朗は五年二組の教室のすぐそばまで来て、息をひそめた。早乙女先生は、男鹿先生の言った通り、蛍光灯を点けず、携帯電話か何かの明かりだけ点けて、教壇に立って一人でもぞもぞしているようだ。そして、ついに早乙女先生は口を開いた。 「えー……。えー、はい。それでは……、今夜の、あ、今日の、あ、今日からの、授業はですね、日本の工業について、その、やっていきたいと、思います。えー、そもそも、工業とは何かということですが、第一次産業、第二次産業という言い方がありまして……」  先生はこの調子で一人でしゃべり続けた。一朗はショックを受けた。  授業だ……。先生は、社会の授業の、練習をしているんだ。他の先生が帰り始めてるのに、一人で……。周りの目を気にして、真っ暗な中で……。  そのしゃべり方は相変わらずぼそぼそで、例え教科書や板書を見ながら聞いても要領を得ないにちがいなかったが、それでもこの練習がなければ、もっと分かりにくいだろうことは明らかだ。一朗は先生をうたがったこと、心の底でばかにしていたことを反省した。  その時、うつむく一朗に、近づく者がいた。 「百地~……。お前、こんな時間に何やってんだ……?」  それは音楽の女性教師、男鹿だった。彼女は声をひそめて言葉を続ける。 「ずっと学校にいたのか? 悪いやつだなあ……」  一朗はあせった。本来なら超人の催眠術で、どうとでもごまかせるが、キンコジで力を封じた状態でできるか分からなかった。彼は小声で取りつくろう。 「ごめんなさい……。えっと、どうしても、気になって……。早乙女先生のこと……。でもほら、見て……。早乙女先生、授業の練習してたんだ。かげで努力してただけだったんだよ」  一朗は教室の中に顔を向けた。男鹿先生も、一朗の肩に手を置いて、背中にくっつくようにして中をのぞいた。そして、彼女は言った。 「むだなのに……」 「えっ……?」  一朗は目だけを男鹿先生の方に向けるようにして聞き返した。彼女は続ける。 「努力なんて、してもむだなのに……。苦手なものは、苦手なままでいいの。自分が悪いんじゃないんだから。だめなやつは、だめなままでいいの。バカな子供は、バカなままでいいの。授業なんてテキトーで、気に入った子だけほめとけばいいの。どうせ……」  一朗は聞きながら顔を引きつらせていた。彼はこみ上げる怒りと疑問をおさえながら、顔の向きはほとんど変えずに言った。 「どういうこと……? 先生、ふざけてるの? どうせ? どうせ、何?」  すると男鹿先生は一朗の肩に置いていた手をはなし、無言になった。一朗は恐怖を感じ始めていたが、意を決してふり返った。その瞬間。  ガシッ! 「がっ……! カハッ……!」  一朗は息ができなくなった。突然、首をしめられたのだ。男鹿先生が、一朗の首に手をかけ、顔を醜くゆがめてうすら笑いを浮かべている。彼女は言った。 「どうせ、死ぬんだから……! そういうことだよ!」  一朗はすぐに彼女の手を外そうとしたが、彼女の太い腕はびくともしない。彼は絶望し、思い知った。はめられたのだ。  大童鬼は、音楽教師の男鹿だった。最初から、自分をねらっていた? いや、ちがう。あの時、職員室前で話している時に、この罠を思いつかれたのだ。一人でうろつく、何やら思いつめた生徒を殺して、おそらくその罪を、早乙女先生になすりつけるつもりだろう。  死ぬ……。食われる……。そしてぼくが死んだ後は、さらに他の人たちが……。  バキッ!  その時、激しい音がしたかと思うと、男鹿は一朗から手をはなし、頭から横に吹っ飛んだ。  一朗の目の前には、変身した背広姿の犬山が、片足を上げて立っていた。彼女が男鹿の頭に、とび回しげりを食らわしたのだ。 「一朗くん! 大丈夫っ?」  犬山が一朗の体を支えながら言った。ふたたび息ができるようになった一朗は、あえぎながら犬山の顔を見上げる。彼女は続けて言った。 「何か一人でやってるんじゃないかと思ったの。それで」  ドガンッ!  犬山の体を、巨大な丸太のような物が突き飛ばした。腕だ。巨大で異常な長さの腕が彼女の体をわしづかみにし、そのまま教室のドアを吹っ飛ばして、教室の中の床や黒板に彼女を打ちつけまくった。  やがて巨大で長い腕は、ぐったりした犬山をつかんだまま、ゆっくりと引き寄せられた。一朗は言葉を発することもできないまま、おそるおそるその先を目でたどる。  奇怪な化け物だった。その姿は裸の赤ん坊に似ていて、胴体と同じくらい頭が大きく、ひたいが飛び出ていて毛はまったく生えていない。飛び出し気味の目玉はほとんど黒目しか見えず、瞳孔が開ききっている。辛うじて男鹿の面影はあるものの、耳は見当たらず、口は目元までさけて、すき間だらけの歯がむき出しになっている。裸の手足や胴体ははち切れんばかりにふくらんでいるが、乳房もへそもなく、蛙のようにつるつるだ。そしてその、身長五メートル近くありそうな体を丸めて、背中を天井に押しつけていた。 「この女ぁ、何者だあ~?」  大童鬼となった男鹿が、太くくぐもった声で言った。先ほどまで、ありえないほど伸びていた腕は今はちぢんで、犬山を目に近づけてにらんでいた。 「美人じゃないか~! いまいましい! ええ? ふつうの力じゃなかったぞ?」  その時、教室の向こう側のドアから顔を出した早乙女先生が、高く短いさけび声を上げ、そのまま床にたおれこんだ。あまりの光景に気を失ったのだろう。大童鬼を目の前にして立ちつくしている一朗も、めまいがしそうな思いだった。  一方、大童鬼につかまれた犬山は、早乙女先生の声で目を覚ましたようだった。彼女は声をもらした。 「うう……。これが……、大童鬼……」 「先輩っ!」  一朗がさけんだ。大童鬼はそれを聞いて言う。 「ダイドーキ~? 先輩~? なるほど……。お前たち、何か知ってるんだなあ? この、わたしがなった、『これ』がなんなのか……!」 「男鹿先生っ! その人を放して!」  一朗は大童鬼に向かってそう言った。 「あ~あ、いいとも。その代わりと言っちゃあなんだけど、お前たちが知ってること、わたしに教えてくれるかぁい?」  大童鬼はそう言って、さけた口元を一層ゆがめて笑ったが、すぐに犬山が一朗に言った。 「だめ……! 大童鬼は人をだます……。一朗くん、逃げて……。パパたち二人に、よろしく……」  一朗はうろたえながらも、犬山の言葉に違和感を覚えた。パパたち二人、という言い方は少し変だ。犬山はたしか、ふだんお父さんお母さんと呼んでいる……。おそらく彼女は、木嶋や猿渡と合流しろと言っているのだ。 「ん~? 逃げたきゃ、逃げればいいさ……! 一人に、じっくり聞けば充分……!」 「アアッ!」  犬山がさけび声を上げた。大童鬼がしめつけを強めたのだ。犬山は苦痛に顔をゆがめながら、一朗を見て言った。 「逃げて……」  一朗は犬山と大童鬼を見上げながらふるえていた。どうしてこんな……、と彼は思った。犬山を助けたいし、助けなければいけない。けれど、変身はできない。今の自分には超人の力がないのだ。ここに突っ立っていたら、自分もすぐにやられる。犬山の言う通り、逃げて木嶋たちと合流すべきだ。そうして出直せば、少なくとも大童鬼は退治できるかもしれない。……そして、犬山はその間に食われるだろう……。だが他に、どうしようもないのだ。  一朗はくちびるをかんだ。 何もできない……! どうしようもない……! どうしてこんな目にあうんだ……! くそっ! くそっ!  彼はこの世のすべてをののしった。その時……。  一朗の頭に、恐ろしい考えが浮かんだ。それをやって、もし失敗すれば、今以上に悲惨な事態になるだろう。そうなる可能性は高い。だが、それ以外に、犬山が助かり、町の平和も守られる方法は……。  一朗は、決意を固めた。彼は思った。  望みはうすくても……、ぼくは、その道を選ぶ。ぼく自身が、それを決めるんだ。他のだれかに決めさせられるんじゃなく……。この、ぼく自身が……!  一朗はすばやく前かがみになり、左腕にはめたキンコジを外した。ほとんど同時にかかとを打ちつけ合わせ、彼は超人に変身した。  次の瞬間、一朗は上着やズボンをやぶり捨て、大童鬼に向かってとび上がった。  彼の中に、怒りの炎が燃え広がる。これが彼の決断だった。彼は決めたのだ。自分が童鬼になってしまう前に、この戦いを終わらせる、と。
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