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六 大人
大童鬼は変身した一朗の姿に目を見張る。一朗は灰色の弾丸となって、犬山をつかむ大童鬼のひじに、下からキックを突きさした。
「ギャッ!」
大童鬼はさけび声を上げ、その巨大な手を犬山からはなした。続けて一朗は大童鬼の腹をけって、犬山が床に落ちるより早く、彼女を両手でキャッチした。
「先輩っ、しっかり!」
彼は大声で言ったが、犬山は目を閉じてぐったりしている。辛うじて心臓の音は聞こえるが、おそらく体中の骨が折れている。
「はっ!」
すぐに背後から気配を感じて、一朗は横にとんだ。
ズガッ!
大童鬼がこぶしを床に打ちつけていた。よけるのが一瞬遅ければつぶされていた。一朗が犬山をわきに抱え直して大童鬼の方を向くと、大童鬼はすぐに、天井や床を破壊しながら突進してきた。彼女は続けざまにこぶしをふるう。一朗はそれをかわしていく。彼女は攻撃しながら大声で言った。
「百地~! お前っ、何者だ? 変身ヒーローかあっ? その女も、同じか? ハッ! ガハハ! 笑える! 正義の味方なんて、作り話のっ、中だけだとっ、思ってたなあ!」
一朗はだまったまま大童鬼の連続攻撃をかわす。彼女の腕は、時に回りこむように伸びてくる。逃げ出すのは不可能だ。
一朗は犬山を抱えているのとは反対の手に、外したキンコジをにぎりしめていた。なんとかしてこれを、大童鬼にはめるのだ。自分自身が、童鬼になってしまう前に。
大童鬼は攻撃しながら言葉を続けた。
「お前みたいのがいるってことはっ、わたしみたいのは、一人じゃないってことだな! いまいましいがっ、いいさ! さっきの続きだ! 全部教えてもらうぞ! それからお前たちは、わたしの胃ぶくろに入ってもらう! 人の肉がっ、食いたくて、食いたくてっ! しかたないんだ! ガハハハハッ!」
なおも一朗は攻撃をかわす。が、敵が床やかべを壊しまくるせいで、しだいに足場が悪くなってきた。職員室の教師たちも、そろそろこちらのさわぎに気づくかもしれない。そして何より、自分がいつ、理性をなくして童鬼になってしまうか分からない。一方で大童鬼は、攻撃するたびに目をらんらんとかがやかせていった。
「そ~ら! いつまで持つか、なっ!」
大童鬼が声を上げながら、大きくこぶしをふりかぶった。一朗は瞬時に床をけり上げる。体をひねりながら相手のこぶしをかわし、そのままきりもみ回転しながら、敵の腹にこぶしをねじこんだ。
「グワッ……!」
一朗の渾身の一撃は、大童鬼の巨体をろうかの奥まで吹っ飛ばした。
いや、そうではなかった。大童鬼は笑っている。彼女は一朗のこぶしが当たる瞬間、自分から後ろに飛びはねたのだ。
一朗は青ざめた。大童鬼のすぐ後ろには、気絶したままの、早乙女先生がたおれていた。
「ほ~ら、変身ヒーローさん! 大人しくしなあ!」
大童鬼が大声で言った。彼女は早乙女先生の頭の上で、こぶしをにぎって構えている。
「やめろっ! 汚いぞ!」
一朗がさけんだ。その瞬間、大童鬼は反対の腕を伸ばして一朗をわしづかみにする。犬山もキンコジもはじき飛ばされてしまった。大童鬼は笑いながら、大声で言う。
「ガハハ! 今さら何言ってんだよ! でかいガキがあっ!」
一朗はつかまった。早乙女先生を助けようと助けまいと、自分がやられれば同じことだと、一朗は分かってはいた。それでも彼は、留まらずにはいられなかった。百地一朗はそういう男なのだ。
「ん~? どうした~? えらく恐い顔して?」
大童鬼が一朗を顔の近くまで引き寄せて言った。彼女の言う通り、一朗の怒りは頂点に達して、猛獣のような顔をしていた。大童鬼は彼の顔をまじまじと見つめ、こう言った。
「お前……。分かるぞお……! 同じじゃないか。わたしと、同じにおいがするじゃないか~!」
一朗は必死で抜け出そうとするが、大童鬼に力をこめられ、痛みで一層顔をゆがめる。
「百地~! お前……、むかつくんだろ? いまいましいんだろ? この世のすべてが敵に思えるんだろ? ほんとは何もかも、全部どうにでもなれと思ってるんだろ~?」
「ぐ、うう…、ち、がう……!」
一朗は息もたえだえに言った。大童鬼は笑う。
「ガハハッ! ちがわないなあ! においが……、強まってる。強まってるぞ? 顔つきも変わってきた! わたしと同じものが、中でうごめいてるのが分かる! 楽しいもんだな! 他人の不幸を見届けるのは! ガハハハハ!」
一朗は耳をふさぎたい思いだったが、その時、大童鬼の不快な笑い声に混じって、か細い声が聞こえてきた。
「一朗、くん……」
犬山がかべぎわで、床に伏したまま、一朗を見上げていた。彼女は声をふりしぼるようにして言った。
「……だまされ、ないで……。あなたは、超人……。童鬼とは……、ちがう……」
一朗ははっとした。彼は自分の心の中を探った。
犬山の言う通りだ。大童鬼の言うような醜い気持ちは、一朗の中にたしかにある。が、今それは、むしろ小さくなりつつある。おそらく、戦うと決めた時からだ……。あの瞬間から、今も自分の中に燃えているのは、純粋な怒りの炎だ。童鬼と戦うための正義の炎なのだ。
「があっ!」
一朗はすべての力をふりしぼり、彼をとらえる大童鬼の指をはじき飛ばした。
「なっ……!」
大童鬼は動揺した。一朗は床に足を着く。が、彼は後ろによろめいた。彼は悟った。今ので、力を使い切ってしまったのだと。
一朗の左、二メートルほどはなれた床に、彼のキンコジが転がっているのが見えた。彼はほとんどたおれこむようにしてそれに手を伸ばす。が、大童鬼はすでにその巨大な手を、彼に向かってふり下ろしていた。
ガッ! ズガンッ!
一朗の体に衝撃があった。が、それは上からつぶされたわけではなかった。黒い服が床を駆ける。
「おう、危機一髪だったな」
猿渡の声が言った。一朗は抱きかかえられている。猿渡の言った通り、一朗は童鬼にやられる寸前、彼に助けられたのだ。
「遅くなってすみませんっ。駅の方まで行ったのが裏目に出ました」
木嶋の声だ。一朗が猿渡に抱えられながら元いた方を見ると、木嶋は犬山を抱きかかえて、ずっとはなれた所に立っていた。
大童鬼はうなり声を上げた。
「ぐうっ……! まだ仲間がっ……! いまいましい! 全員殺して、食ってやる!」
彼女は両腕を伸ばしてやたらとふり回したが、猿渡も木嶋もかわしていく。猿渡は走りながら床にたおれている早乙女先生を拾うと、彼を肩にかつぎ、一朗をその反対側の肩に抱え直した。肩の上から、一朗は猿渡に言った。
「男鹿先生が……、大童鬼だったんだ……」
猿渡は攻撃をかわしながら答える。
「ああっ、見てたぜっ。ここにも、監視カメラがあるからな。鈴子が連絡してきたんだ。首しめられたお前を助けるのと同時にっ。おれと木嶋は駅の方を調べてた。でっ、事態に気づいて、駆けつけながら、さかのぼって映像も見た。……一朗っ、お前なんで、すぐ変身しねえんだ。正体かくしてる場合じゃねえって分かるだろっ」
一朗はくちびるをかみ、それから声をふるわせながら言った。
「……童鬼に……。ぼくは、童鬼にかかったんだ……。キンコジを自分の腕にはめれば、治まるって分かって……。でもそれだと、変身できないんだ……。だから……」
猿渡は少しの間、無言で大童鬼の攻撃をかわしていた。やがて彼は低い声で言った。
「……そういうことか。……ふんっ。そういうことは、ありえることだ。おれたちの先輩が、そうだった。その人は最後は自分の頭にキンコジはめて……」
「先輩が……! 頭に、はめて……?」
「記憶を全部なくして、引退した。お前はそうしなくて良かったな……!」
その時だった。大童鬼は猿渡一人にねらいを定め、突進しながら両腕を鞭のようにしならせて、左右のこぶしではさみうちにした。
ドゴンッ!
一朗と早乙女先生は床に投げだされた。一朗の視線の先には、猿渡が仁王立ちになり、大童鬼の巨大な二つのこぶしを、両手に一つずつ受け止めていた。彼は大声で言った。
「けがは治した! 一朗、自分の足で立て! お前はもう、童鬼にはならねえ!」
彼の言う通り、一朗は自分のけがが治っていることに気がついた。最初の夜、竹やぶの中で、犬山が背中をなでたらぜんそくが和らいだことを思い出す。あれからずいぶん経った気がした。
「レッド!」
木嶋が反対側からさけんだ。一朗がふり向くと、小さな物体が彼の顔目がけて飛んできた。錠剤キビダンゴだ。彼はとっさに口を開いてそれをキャッチし、そのままつばで飲みこんだ。木嶋はぐっと親指を立てた。
力が全身に行きわたる。一朗はすばやく立ち上がった。同時に大童鬼がほえる。
「くそおっ! またつぶしてやるっ!」
大童鬼は突き出したこぶしを広げようとした。が、
「おっと!」
と猿渡が短く言って、すばやく大童鬼の左右の小指に両手を回し、がっしりとつかんだ。これでは相手は、両手を近づけたまま広げられない。
「なめるなああっ!」
大童鬼がさけんだ。ほとんど同時に、
「一朗くんっ!」
と犬山の声がひびいた。彼女もすでに、一朗と同じようにしっかりと立っていて、木嶋のとなりから、床をすべらせ何かを投げた。大童鬼の股の間を通ってきたそれは、大きく広がったキンコジだった。
「走れっ、一朗!」
猿渡がさけぶ。彼は童鬼にふり回されながらも敵の指をはなさず、曲芸のような動きで打ちつけられるのをさける。
一朗は足元のキンコジをすばやく拾い、大童鬼に向かって駆けだした。木嶋と犬山も背中側から敵に向かう。
敵との距離は瞬時につまる。が、その一瞬の中で、一朗は気づいた。大童鬼は両腕と共に、やたらと頭を動かしている。さらにその頭はほとんど天井をこすっていて、キンコジをはめるためのすき間がない……。
しかしその時、彼の視界に、向こうからやってくる木嶋と犬山の姿が入ってきた。二人の目が、言っている気がした。そのままとべ、と。
ズガッ!
次の瞬間、木嶋と犬山が、同時に大童鬼のひざ裏に強烈な回しげりを食らわせた。大童鬼はひざを折る。巨体が前につんのめる。頭が下がった!
ガッ!
すでにとび上がっていた一朗は、大きく広げたキンコジを、大童鬼の頭にこれでもかとたたきつけた!
「ぐあああああああ!」
大童鬼はすさまじいおたけびを上げる。キンコジがはげしく光る。全身から湯気がふき出し、油のような液体が流れ出た。ふくれあがった体はぼこぼことしぼんでゆき、伸びた腕もみるみるちぢんだ。間もなく湯気は煙のように濃くなって、彼女の体をおおいかくし、そして――。
ドサリと音がすると同時に、湯気はかき消え、床に、丸裸の人間が、うつぶせにたおれこんでいた。
「ひょへっ!」
一朗は思わずすっとんきょうな声を出してしまった。その太った体形は、おそらく男鹿先生だが、髪はすべて抜けたままで、耳もただれて、くずれかけていた。
「はーいはいはい、紳士諸君はじろじろ見ない!」
犬山が自分の背広をぬいで、たおれた体をおおった。木嶋も背広をぬいで、犬山にわたす。犬山が二着の上着でおおい終わると、その人の頭を横に向けた。この、おじさんのようなおばさんのような顔つきは、たしかに男鹿先生だ。一朗は彼女をあわれむ。
それから彼は木嶋たちの顔や、無残に破壊された周りのかべ、床、天井を見わたすと、表情を引きつらせて言った。
「……これ、どうするの……?」
すると木嶋が、苦笑いをしながら答えた。
「すでにキャロル隊が総出で動いています。先生たちは上がって来てないでしょう?」
一朗は途中からすっかり忘れていたが、そういえば職員室の方は大したさわぎになっていない。木嶋は続けた。
「この校舎の惨状は……、おそらく、学校に恨みをいだいた卒業生かだれかが……、まあ、架空の人物ですが……、爆弾テロでも起こしたことに、されるでしょうね」
「そんなっ、無理でしょ……!」
一朗はすぐに言ったが、その時猿渡が、気絶したままの早乙女先生を抱え、一朗たちの方にやってきて言った。
「ここまでくりゃあ、組織の『上』が動いてくれる。幸い人的被害はこの先生のたんこぶくらいだし、犯人逮捕で、動機もはっきりしてりゃあ、みんなすぐに忘れるさ」
一朗は半信半疑だったが、また別の質問が口をついて出た。
「男鹿先生は、どうなるの……?」
木嶋は視線を彼女に向けると、声を落として言った。
「……残念ながら、大童鬼となった人間は、封印後、研究施設に送られることになっています」
一朗は寒気を覚えたが、木嶋は続ける。
「彼女は体も脳も大きなダメージを受けているはずです。それを検査するためでもあります。それに……、やはり、いったい何が起きて大童鬼となったのか、それを少しでも解明しなければなりません。分かりますね?」
一朗は、男鹿先生をじっと見つめた。彼はやがて小さくうなづき、つぶやくように言った。
「すべては、人々の平和のために……」
犬山はあわれみの表情を浮かべて言った。
「きっと、急に実家に帰ったことにされるわね……。残念ね……。あたしこの先生、きらいじゃなかったのに。……いつか、また一緒に歌を歌いたいな……」
一朗は思った。いつか……、童鬼の秘密が解ける日が来るのだろうか……。人間が童鬼を克服することができる日が、いつかやってくるのだろうか、と。
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