第1節 睡蓮の天女

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第1節 睡蓮の天女

 時は戦国時代も終わりの辺り、とある村での話である...  ここは、村の裏山にある溜池のほとり、夜遅い時間にも係わらず、一人の男が岸辺で座禅を組んでいた。  男の名は斎真(せいしん)、村に一つだけある寺の僧である。  ポチャン!という水音に斎真はビクッとした。  しかし、すぐに池の魚が跳ねた音だと気づきホーッと一息ついた。 (否!...これでは、駄目なんだ!)  先ほどからやけに周囲の音が気になってしまう。  さらに、頭の中から何回振り払らおうとしても、昼間見た貴族の牛車や、町の商人の家の情景がポッカリと浮かんで来てしまうのだ。  それは、今日の昼間のことだ。  斎真は町に托鉢(たくはつ)に向かうため、街道を町に向けて歩いていたが、村から出る曲がり道のあたりで、前方から牛車が来ていることに気がついた。  やがて、牛車は斎真のすぐそばまで来たのだが、そこで思いも依らないことが起きた。  牛車の前の(すだれ)が開き、そこから若く美しい貴族の女が顔を覗かせて、お付きの家来と二言三言話しをしたのだが、その姿を、斎真は錫杖(しゃくじょう)を持ったまま、ただ阿呆のように口を開けて見つめてしまったのだ。  貴族の女は斎真と目が合うと扇子で口元を軽く抑え会釈をしたので、道の脇にいた斎真も慌てて右手の数珠で拝む姿勢を取ったのであった。  やがて貴族の女は簾を下ろし、牛車と共に斎真の横を通り過ぎて行ったが、すれ違いざまに、牛車の物見の窓が開き、貴族の女が外を見たときに、またしても斎真と目が合ってしまったのだ!  しかも、そのとき何とも言えない優美な御香が漂ってきたのである...  物見の窓はすぐに閉じられたが、斎真の心臓の動悸はすぐには収まらなかった。 ......  町に着き、裕福な商人の檀家の、家の門に立ったときにも、そうであった。  斎真の読経の声に、やがて玄関から現れて門のところにやって来たのは、その商人の家の若い娘であった。  普段着の着物姿であったが、多少化粧でもしているのか妙に秋波を感じさせたのである。  少々動揺気味の斎真が左手に持つ鉢に、娘は白い小袋に入ったお菓子とお金の入った懐紙袋を入れたのであるが、妙にゆっくりと斎真の反応を確かめるようにして入れると「有難う御座いました」と言い、斎真を上目遣いで見た後は、そそくさと家の中に戻っていった...
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