第1節 睡蓮の天女

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...... (こんなに...女の色香の煩悩に悩まされるとは! 今まで私は何を修行してきたのだ!)  斎真は池のほとりの堅い地面の上に御座を敷き、その上で座禅を組んでいた。  寺の雑事を終え、床に入ったが眠りにつくことができず、今夜は心が落ち着くまでここで瞑想しようと思って池まで来たのであるが、先ほどから目はいよいよ冴えてしまい、頭の中の妄想も消しては現れ、消しては現れを繰り返していた。  しかし、静まりかえったこの山の溜池では池の蛙と、ときどき聞こえる梟の鳴き声だけで、水音はほとんどすることが無かった。  それで、魚が跳ねた水音に驚かされた訳である。  斎真は目を開けて、月明かりが照らしゆっくりと揺れる池の水面(みなも)を見つめた。 (...私がこんなことでは、敬林寺(けいりんじ)の和尚様の後を継ぐなどということができる訳がない...)  弟子が斎真一人の敬林寺では、晴巌(せいがん)和尚もだいぶ年を取ってきており、ときどき腰痛で床に伏せることもあり、寺の先行きが心配な状況にあったのだ。  そのとき、満月をやや隠していた雲が一気に晴れて、池の水面を明るい月の光が煌煌と照らし出した。  斎真は月明かりの中、ふと右手にある池のほとりの睡蓮(スイレン)の花を見た。  この初夏の季節、睡蓮はまだ咲き始めたばかりであるが、ひときわ大きな一輪の白く桃色がかった花が目に留まった。  ...すると、その花の中心部あたりに、なにか動いているものがあるではないか。 (虫...蛾か何かだろうか?)  斎真は思わず片膝をついて立ち上がり、その睡蓮の花の近くに寄ってみた。  なんと、そこには薄桃色の天女のような着物を着た親指くらいの少女が居り、斎真に向かってニッコリと微笑んだのである。 (えっ!?)  斎真は自分が寝ぼけていると思い、両手で目をゴシゴシと擦り、再び睡蓮の花を見た。  すると、先ほどと変わりなく睡蓮の花の中心に小さな女の子がいるのであった。 (...私はキツネにでも化かされているのか? それとも、まさか...天女様なのか?)  斎真は小さな女の子をじっと見つめていたが、やがて、女の子が自分の左手の方向を指し示し、何か声を出しているように見えた。 (ん?...何か右方向を見ろと言っているようだが...)  斎真が右手の方角を見ると、池の深い淵となっているあたりの岸辺にボロ布のような着物を着た若い女が居り、月に向かって合掌した後に、池の中に片足から入っていこうとしていた。 (なっ!...入水する気か!?)  女は見る間に体ごと池の中に入り、もう腰のあたりまで水に浸かっていた。
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