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1.フミ
雨は止まない。
しとしと、しとしと
いつまで続くんだろう。今みたいに静かに降ったかと思えばザバザバ降って。
今日は結局一度も止まなかった。空にはどんだけの雨があるんだか。
外は真っ暗、人通りも大分前に途絶えた。
元よりこれだけ雨がやまなけりゃ人も出歩かない。今夜はGHQの連中もほとんど顔を見せなかった。このカフェーの客は半分GHQみたいなもんだから奴らが来ないと殆どお通夜だ。レコードも今夜は二枚しか掛けなかった。
洋風のカーテンに色どられた窓は時折叩きつけるように降る雨のせいでべたべただ。明日晴れたらまず窓ふきからしないといけない。
それにしても暇だ。箒を支えに立ったまま寝そうだ。
つい出そうになるあくびを噛み殺そうとした途端、柱時計がぼおん、ぼおんと鳴りだした。
十時。
店の中には客はゼロ。そろそろ仕舞いだ。掃除も終わった。客が来ようが来るまいが下働きの私は元からお給金が決まってるから関係ない。客が来ないほうが仕事は楽には違いないがこうも暇だと退屈でしょうがない。
外のガス灯が消えたね。さっきまで傘をさして立ってたネエサンはもう帰っただろうか。雨が続くとショートで稼ぐパンパン達は商売あがったりだろう。つくづく同情する。
裏の物置に箒と塵取りを片付けてホール出入りの戸を開けると、既に誰もいない。ホールの女給はともかくマスターも先に帰ったということ?
と、いうことは。
ここからは見えない、いつもの席、だ。テーブルに置かれたランプの灯を消しながらその席に向かうと。
やっぱり、ね。
「姐さん、まだ帰らへんのですか?」
彼女は定例のごとく窓際のソッファーに座り、花紙を裂いている。
「ああ、もう少しだけな。もう少しだけ、ここにおるわ。あんたは帰り、フミちゃん。息子、待っとんのやろ。」
私をチラリと見たっきりで姐さんはまた花紙遊びを始めた。
いつもの事だ。雨の降る夜はいつもいつも。
だから雨の降る夜はみんな帰ってしまう。姐さんに付き合っていたら何時に帰れるかわからないから。
そういう私も。
帰ろう。
ため息をつきながら帯の後ろで結んだ給仕エプロンの紐を解く。
今日は持って帰っても洗えない。雨が降る夜はちっとも乾きゃしないのだから。軽く畳んで風呂敷に包む。濡らしたら面倒だ。着物の裾を整えると、改めて姐さんに頭を下げる。
「ほな姐さん、お先に失礼しますわ。戸締りお願いします。」
「気いつけてなあ。」
裏口に立てかけて置いた旦那様のコウモリ傘を手に戸を開けると。
早速パラパラと雨が降り掛かってくる。
庇から出れば、今度は傘越しに頭の上でバタバタと喧しい。
梅雨時は仕方ない。雨だからまだ良いじゃないか。雪なら傘が重くなりすぎて差しているだけで肩が凝る。ここ京都は北陸よりはまだ雪が少なくて助かるけれど、それでも雪の乗った傘を差して歩くのが辛いのは同じだ。
路地から表通りに回ると、灯りの残る店の中が窓から丸見えだ。おや、まだ姐さんはひとり遊びを続けているよ。
あの遊びは大阪の花街に居た時、同じ娼館のネエサマ方に教えて貰ったと、姐さん直々に聞いた。
やり方は簡単だ。
花紙を横に二回折ってハサミで端から短冊状に切っていく。
切り終えたら帯状に広げて一本残して他は集める。
残しておいた一本で真ん中を縛り両端に出ている帯を二本取り結んでいく。
結び方は自由。片方ずつで全部結んでもよし。両端同士で結んでもよし。
全部結び終えたら真ん中で縛っていた帯を解く。
そしてできたわっかを数える。
ひとつかふたつか、繋がって鎖状になるか。下手をすると切った帯の数だけわっかが出来てしまう。それは失敗。
ーーさっむう。客つかんわ
ーーあかんな。はよ寝よ。
逆に上手くいくと全部繋がって一個の大きい輪ができる。それは成功。
ーー今日は良い人がつくかも。
ーー実入りが多そうや。
要はわっかがいくつできてしまうか、という占いを兼ねた遊びなのだ。
正直そんなのいくらでもズルができる。一つの輪にしたかったら綺麗に重ねて結んで一つずらして両端同士で結んでいくのもいい。他にもいろいろやり方なんてある。
それでもネエサマ方はそうやって遊んだそうな。
まあ多分こんな手持無沙汰な日の暇つぶしだったんだろうね。
角を曲がる前にもう一度窓を見る。
まだ灯りは消えない。
姐さんは待っているんだ。彼女の良い人を。
その人は雨の降る夜だけ姐さんの元にやってきたらしい。姐さんがひたすら待っているのは既に鬼籍に入った軍人さん。
どこまで本当かはわからない。その話は他のホール女給に聞いた。
細かいことは知らない。だけど待っているのは確からしい。そうだよね。もう一度会えるなら、幽霊だってかまやしない。
それだけ恋焦がれた人ならば。
それは私も同じかもしれないよ。
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