18人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
3.フミ
あー、やっと家に着いた。
「おかえりー、母ちゃん。」
「お帰りフミ、お疲れやったねえ。」
「ああ、ただいま啓太郎。今日もありがとうね、母さん。啓太郎、ちょっと待って、先にエプロンかたづけるからな。」
一人息子の啓太郎は父親の顔を知らない。少佐だった旦那様はあっさり大連で死んでしまった。空襲で舅も姑もあちらの親戚は殆どいなくなってしまった。
偶々私と啓太郎は実家に戻っていたおかげで助かった。
でも実家の男達は皆戦死。田舎では仕事もなくて食うにも困って遠縁を頼りにこうやって京都に出てきたけれど、いつまでこんな生活を続けていけばいいのか。
「母ちゃん、肩叩く。」
「ありがとねー。」
私の仕事のせいですっかり啓太郎は宵っ張りだ。甘えたい盛りだろうに、この子はよく我慢しているよ。
啓太郎は少しだけ私より旦那様に似ている気がする。特に笑った時の目元がそっくりだ。
私と共にいながらも心の片隅に大事な人を隠していた旦那様。それでも旦那様は私に優しかった。詫びる気持ちもあったのだろうけど、いつも大切にしてくれた。
「そういえば隣の奥さんに聞いたんやけど。軍人の妻は恩給が当たるんやと。あんた役場に行ってきたらどうや?」
「恩給?」
「結構当たるそうやで。啓一郎さんは少佐やったからなあ。」
そっか。
そうしたら少しは生活楽になるかも。啓太郎も旦那様のように大学出してやれるかもしれない。やっぱり旦那様は最後まで良い人だ。
あ、忘れてた。
「母ちゃんどこ行くの?」
「どこもいかんよ。雨が止んだみたいやからな、傘を干すんや。」
「行く。」
湿気を含んでギシギシ音を立てる戸をガタガタ言わせながら外に出ると。
ほんの今まで降っていた雨はすっきり上がって、わずかとはいえ雲が切れてきている。
軒に立てかけておいた形見の傘を手に取った途端、お尻に啓太郎がドスンとぶつかってきた。
「母ちゃん、おし!」
「おし?ああ、星やねえ。」
「父ちゃん星!」
とうちゃんぼし……。傘を広げて玄関の前に置くと、そのまま啓太郎を抱き上げる。
「あー、どれが父ちゃん星?」
「あれ!」
雲の隙間からきらきらと輝く星が見えている。名前なんかわからない。だけどこの子が言うならあの星は父ちゃん星だ。
「そうやった。今夜は七夕やなあ。父ちゃん、啓太郎と母ちゃんに会いに来てくれたんかなあ。」
「たなばた?」
「さ、もう家に入ろうな。」
「お話!たなばた!お話!」
「はいはい。」
戸に手を掛けた時、ふと姐さんのことが頭をよぎった。
姐さん、まだ店にいるのだろうか。
もう雨は上がったさかい、はよ帰りや。
中に入り戸を閉める前にもう一度星を見上げて願いごと。
出来ればあの人のところにも、待ち人が来てくれますように。
[完]
最初のコメントを投稿しよう!