零冊目

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零冊目

「あれ、もうこんな時間」  図書館に設置された自習スペースの、一番隅の席を陣取っていた細川(ほそかわ)(つづら)は、ふと脇に置いていたスマートフォンの画面を見た。  表示された時刻は二十時二十三分。この図書館の閉館時刻は二十時である。 (早く帰らなきゃ……っていうか、図書館の人も閉館する時に声くらいかけてよねー)  そう思いながら、紺色のブレザーにチェックのスカートという、典型的な高校の女子制服姿の綴は、急いで自習スペースに広げていた荷物を片付け始める。  綴の通う高校は、部活動以外での居残りを全面的に禁止している。それは、最近この辺りの学区の治安が悪化の一途を辿っているからであり、学校側としても、苦渋の選択だったらしい。  が、部活動以外での居残りが禁止されて困ったのは、綴を始めとする帰宅部でありながらも、放課後に教室や図書室で勉強をする生徒達だ。  それを聞いた大人や他の生徒などは、勉強くらい家でやればいい、と言うのだが、家で出来ないからこそ、放課後に居残って勉強をしているのだ。  例えば、綴の場合は、家に帰ると専業「主夫」の父親が何かと構ってきて五月蝿い。部屋で勉強をしたいのに、やれおやつだ、学校で何があった、悩みなどは無いか、などとにかく放って置いてはくれない。そのくせ、綴が父親を無視すると、今度は反抗期だの何だのと五月蝿い。とにかく五月蝿い。  そんなわけで、綴が目を着けたのは、通学途中の駅のすぐ近くにあるこの図書館だった。図書館なら静かに勉強に打ち込めるだろう。そう思ったのだが、一人が考えつくことは皆が考えつくことらしい。閲覧の為の席は、あっという間に付近の高校生達により占拠されてしまった。  それに対して図書館は、仕方なしに学生達が勉強をするための部屋を新たに設置することにし、他の「本を読みに来た」利用者の為の席を死守したのだった。  そして、勉強部屋では、閉館ギリギリまで自習に励む学生達による、席の取り合いという名の戦いが始まったのだ。  綴はHRが終わるとすぐに図書館に向かえるよう、帰りのHRが始まる前に荷物を纏めておくことにしたのだった。冬場なら、コートまで着込んでHRを終える。  そして、走る。  そうして、今日も図書館の勉強部屋で、試験対策の勉強や、一年後に控えた受験の為の対策勉強を進めている。  同じ勉強部屋に通っていた二年上の先輩から、「受験は情報戦だ。対策を始めるのに遅いも早いもない」と聞いていたのだ。  そして、その先輩は、卒業間際に最後に綴に教えてくれたのだ。この図書館に纏わる、とある噂を……。 「閉館後の勉強部屋には入ってはいけないよ」
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