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玖冊目
「移動図書館車の車庫だけど……行ってみるかい?」
汐理の方から綴にそう提案する。
これまでの展開からして、移動図書館車の車庫からすんなりと外に出られるわけではないだろう。それでは外に繋がらない非常口などが、全くの無意味になってしまう。
問いかける汐理に、頷いた綴は、移動図書館車の車庫へ続く扉の前へと来ていた。
ドアに手を掛ける汐理に、後ろでスマートフォンを構える綴。
「じゃあ、開けるよ」
そう言うと、汐理は車庫の扉を開けた。
綴もスマートフォンのライトを照らしながら汐理の後に続いて中に入り、汐理が車庫の扉を閉めた。
「……あれ?」
汐理もスマートフォンを取り出し、辺りを照らしてみたが、実習中に何度か入った車庫とは違うような、そんな違和感を感じた。
「どうかしましたか?」
そんな汐理に、冷静に綴が尋ねるが、汐理は余計な不安は与えない方が良いだろうと、特に何も言わないでおいた。
だが、汐理ほどではなくとも聡明な綴は気が付いてしまう。
「……移動図書館車と思われる車が見当たりませんね」
本来ならそこにあるべきもの……移動図書館車の車体がどこにも見当たらないのだ。それどころか、先程まで二人がいた書庫のように、所狭しと言わんばかりに書架が並んでいる。
「……どこに繋がってしまったんだろう」
見慣れない書架を前に、茫然と立ち尽くす汐理。そんな汐理をよそに、綴は淡々と周囲を観察している。
「……ここの棚、どうやら先程までの『図書館』とは違って、本を分類別に並べているわけではなさそうですね」
「え?」
図書館や学校の図書室の本が、本の内容ごとに分類を付けられ、それを基準に並べられていることくらいならば、高校生の綴でも知っている。むしろ、よほど図書室や図書館に寄りつかないという生徒でもなければ、高校生でそのことを知らない生徒の方が少ないのではないだろうか。
綴と汐理の入った部屋の棚に並べられている本は、背表紙に書かれているタイトルを見る限りでは、特に分類などを気にして並べたわけでもないらしい。著者名やタイトルに何か規則があるのかと思えば、特にそういうわけでも無いようだ。
そんな書架だらけの部屋を探索していると、不意に汐理が言う。
「綴、少し休まない? さっきまで倒れていたのに、いきなり動いていたら、身体に悪いよ……あのヘビが毒を持っていたにしても、その成分は何もわからないんだから」
確かに、汐理の言う事にも一理ある。
そう思った綴は、休憩の提案を了承した。
埃だらけの部屋だったが、「図書館」の書庫も似たようなもだったので、二人はとくに気にせずに、その場の床に座り込む。
互いに黙ったままで、それぞれ別の事を考えているようだ。
(……もしこれが私の思っている『筋書き通り』なのだとすればおそらくここは……)
(さっき見た綴の持っていた文庫本、僕のモノとは全く内容が違った……)
(……だとすれば、少なくとも私の目的は達成できるはず……もう少しだわ)
(……もし、あの文庫本が僕の思っているモノだとしたら……)
(きっと、先輩の願っている通りにはならないと思うけど、でも私は『選択』したのだから……)
(……いけない、これ以上考えていると、綴の事すらも信じられなくなりそうだ……でも)
(……ごめんね、汐理先輩)
(綴を……この『細川綴』を、信用しても良いのか?)
それぞれが自らの考えに没頭していると、不意に棚から何かが落ちる音が聞こえた。
「……」
「……そろそろ行きましょう、汐理先輩」
その落下音の元へと歩き出す綴の足取りは、見慣れない部屋に入ったとは思えないほどにスムーズだ。
汐理は黙ったまま、先を歩く綴の後を追った。
二人が辿り着いた場所に落ちていたのは、やはり本だった。良く見ると、かなりの高さの棚から落下したようだ。
綴の身長では見えない位置だったので、汐理がその本のあった棚を調べる。
本が元々あったと思われる場所の、棚の奥の方を照らしてみると、やはり血のような筆跡で矢印が書かれていた。
本を元の場所に戻した汐理は、矢印の方向を綴に伝える。綴はその方向に進んでみようと提案したので、汐理は特に反論もせず、綴の後を追った。
矢印に差された方角に進んでいると、再び書架から本が落下する。まるで二人が通りかかるのを待ち構えたかのようなタイミングだ。
今度は綴でも届く高さだったので、二人で棚の奥を覗いてみる。やはり書かれていたのは矢印で、本を拾った汐理がまた棚に戻した。
そういった移動方法をしばらく続けているうちに、いつの間にか空気の流れのようなものを汐理は感じ始めた。『図書館』や書庫、移動図書館車の車庫の扉から入ってきたこの部屋の始めの辺りでは感じなかったモノだ。
(空気が流れている……ということは、ここは『外』に続いているのか?)
黙々と歩きながら、汐理はそんなことを考えていた。
落下する本の矢印の通りに進んだ二人は、やがて扉の前に立っていた。どうやらここがこの部屋の出口らしい……もしかしたら、入口なのかもしれないが。
『図書館』での時と同じように、汐理が扉に手を掛け、綴がスマートフォンを扉の向こうに向ける。
このやり取りも、もうあとわずかなのかもしれない。不意に汐理はそう感じた。
「じゃあ……開けるよ?」
自分には感じる空気の流れは、綴には感じられないのだろうか。先程までと変わらない様子の綴に、汐理は声をかけ、扉を開けた。
扉の先は、狭い空間のような部屋だった。デスクに乱雑と書類が散らばっており、他にも本を保護するためのブッカーと呼ばれる装丁の途中の本などが置かれている。上半分がガラス張りになったこの部屋からは、その向こう側の空間が見えた。
「あれは……」
そのガラスの向こうに映った部屋に呆然とする汐理に対して、やはり綴は淡々と現在の状況を観察している。
「どうやらここは、私達の高校の図書室にある、司書室のようですね」
なぜ、綴と汐理の通う図書館と、高校の図書室がつながっているのかはわからないが、少なくともここは、ガラスの向こうの景色が見える。もしかしたら、外にも出られるのかもしれない、と汐理は希望を持つ。
綴は相変わらず、何も感じていないかのように冷静な表情を崩さない。
「ということは、さっきの部屋は、高校の図書室の方の閉架書庫?」
ぶつぶつと現状の観察を呟き続ける綴に対して、汐理は母校の懐かしい図書室に涙が零れそうになっていた。
彼が三年生に上がる半年ほど前までは、この高校も居残り禁止という決まりは無かったのだ。汐理が二年生になって半年ほどしてから、そういった決まりが作られ、居残り勉強の生徒たちが苦しめられてきたのだった。
まさか、こんな形で母校に戻るとは思わなかった汐理は、思わず図書室側に繋がる扉に手を掛けていた。
「待って、先輩」
綴がそう声を掛けなければ、すぐにでも図書室に飛び出し、懐かしい図書室を物色し始めただろう。
「汐理先輩に、伝えなければいけないことが有ります」
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