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壱冊目
慌てて鞄に荷物を詰める綴だったが、勉強部屋の灯りがフッと消えてしまった。
だが、綴は焦らずに、スマートフォンのライトを点けて、荷物を纏め続ける。
(いきなり電灯を切らなくたって良いじゃない。まったく館内の確認もまともにしないんだから……)
鞄に荷物を詰め終わった綴は、そのままスマートフォンで辺りを照らして出口を探った。
勉強部屋から出た綴は、妙だ、と思った。
普段も、夜間開館をしているこの図書館の閉館ギリギリまで勉強部屋に居座ることの多い綴だ。当然図書館員の一部にも顔を覚えられているのだが、今日は誰も綴に声をかけるどころか、閉館後の業務をしている館員すらも目にしない。
勉強部屋は図書館の二階に設置されているのだが、二階にも館員のいる場所がある。そこにも誰もいる気配がしない。それどころか、いつもなら閉館と同時に忙しなく、二階の一番奥にある勉強部屋の清掃にくるはずの清掃員すらも見かけていない。
それどころか、綴は普段から、閉館ギリギリになって慌てて帰り支度をする羽目にならないよう、常に時間の経過には気を配っていた。パラパラと周囲の学生たちが帰り支度を始める頃合いになると、もうそんな時間かと思いながらも、自分も帰り支度をするのだ。
懐中電灯代わりにしていたスマートフォンを片手に、綴は図書館の出口までやって来た。此処までの道のりも、既に灯が落とされたと言う事で真っ暗だった。スマートフォンで時刻を確認すると、八時五十五分。声を掛けてみたが、「事務室」と書かれた扉の向こうから誰かが来る気配も無かった。
そのまましばらく待ってみたものの、誰も通りかからないので、仕方なく、綴は二階にある勉強室へ戻ることにした。時刻は丁度、九時だった。
*****
「閉館後の勉強部屋には入ってはいけないよ」
二年上の先輩でもあり、綴に勉強室での効率の良い席の確保の方法を教えてくれた、冴島(さえじま)汐理(しおり)がそう言った。時は既に三月に差し掛かろうかという時期で、推薦を使わずに国立大を目指していたと言う汐理は、既に志望校への合格を手にし、残りの高校生活を過ごしている様子だった。この日は確か、自動車の運転免許を取るために、高校の卒業まで通っているという自動車学校の筆記試験の追い込みのために来ていたと言っていたはずだ。
「あぁ、正確に言うと、『夜の九時を過ぎてからは、図書館の勉強部屋には入ってはいけない』、だ」
普段は綴もあまり目にしなくなったマニュアル式の車の運転免許の取得を目指している汐理は、中性的な顔立ちをしては居るが、一応当時は男子高校生だった。綴とは「変な名前コンプレックス仲間」として、妙に息が合ったのだった。
穏やかな物腰と、明晰な頭脳、帰宅部ながらも校内でもトップレベルの運動神経、おまけに泣き黒子が印象的な涼しげな眼元の美貌を持つ、同じ高校の制服を着ているだけでも自慢になるような汐理は、当然ながらも校内でも人気を誇り、図書館の勉強部屋に通うようになってからは近隣の高校にまでファンクラブが出来るありさまだった。もっとも、汐理本人はそのことには全く気付かず、自分をただの平凡な男子高校生だと思っていたようだが。
綴と汐理が出逢ったのは、図書館のカウンターで登録手続きをしている時だった。当時一年生の綴と三年生の汐理ではあったが、同じ制服を着ていることから一緒に来たのだとカウンターの係員に勘違いをされ、図書館に関する説明等の案内を纏めてされたのである。
その後に、新しく発行された図書館の利用者カードに記載した綴の名前を覚えていたのか、汐理の方から綴に話しかけたのだ。
「君の名前、なんて読むの? あぁ、僕は冴島汐理っていうんだ。男のくせに『しおり』なんて付けられてさ、よく名簿では女子の欄に入れられちゃったりして困るよね」
「私の名前は『つづら』って読むんです。親がどうしても『糸偏』の付く漢字の名前にしたかったって。他にもあるのに、なんでこの名前なんでしょうね」
「子供の名前なんだから、きちんと考えて付けてほしいよね。いい迷惑だ」
「ホント、冴島先輩の言うとおりですよ」
「あぁ、名前で呼んでくれて構わないよ? ……っていうか、部活とか入ってなくて、後輩とまともに話すのなんか久しぶりで……僕も綴って呼ぶから、ね?」
そうして汐理とは名前で呼ぶようになったのだが、その汐理が校内でも指折りの有名人だと綴が知ったのは、汐理と知り合ってから二週間近く経ってから、クラスの女子に指摘されたのがきっかけだった。
だが、汐理が校内一の人気者だと知っても、綴の汐理に接する態度は変わらず、一時期は「ファンクラブ」を名乗る女子達から反感を買ったこともあったが、今ではそのファンクラブですらも公認となっているのだった。
「どうして、『夜の九時』なんです? だいたい、この図書館、八時には閉まっちゃうじゃないですか」
八時まで開館しているのすら、既に図書館としてはかなり遅くまで開けている方ではあるのだが、綴は汐理にそう尋ねる。
「噂だよ、う、わ、さ。ほら、『学校七不思議』みたいなモノだよ。ありえなーい! ってくらいの方が盛り上がるからね」
静かに笑いながら、汐理は真っ暗な駅までの道を、綴の斜め前に立つように歩いている。
「それなら私も知っています。クラスの子たちが言ってました。確か『音楽室のサックス吹きの男子』」
「アレねぇ……実は僕なんだ。一年の頃、サックスに憧れてどうしても吹いてみたくなってしまってね……慌てて隠れたんだけど、吹奏楽部の居残りの部員に見つかりそうになってしまってね」
「……」
綴はその話を聞いても、特に驚きはしなかった。元々感情の起伏が激しい方ではない上に、見かけによらず大胆なところがあるこの先輩ならばやりかねないと思ったからだ。
「えー……次は『化学室で実験をし続ける研究者の亡霊』……」
「アレかぁ……懐かしいなぁ」
「あ、もういいです」
汐理の事だ。どうせ友人と過去に何かやらかしたのがたまたま誰かに見つかりかけたとかだろう。そう思ったのと、ちょうど駅のホームまで着いたのが同時だったのだ。
汐理と綴は駅までの道と使用している路線は一緒だが、乗る電車の方向は逆方向だった。
「あとは、『美術室の動くオブジェ』、『グラウンドを走り続ける女子選手』『屋上から手を振る女性』、それと『夜の図書室に入ってはいけない』」
「そして最後の一つはお約束の『知ったら死ぬ』ですね」
淡々と七不思議を上げていく汐理と綴。ベンチに腰掛けながら、グロウが消費されて点滅している電灯の下で話している。それも、どちらかの電車が到着するまでだ。
「その最後の、なんだけどね、どうやら六つ目の図書館のモノと何か関係が有るらしいよ」
「なんでそんなこと知っているんですか」
「いやぁ、友達に噂好きのヤツと探究心旺盛なヤツがいてね」
汐理の良くわからない友人関係に溜め息を吐きながらも、綴はあくまでも後輩という位置づけを守るために、特に口を開かなかった。
そんな話をしていると、綴の乗る電車がホームに到着した。
「それじゃ、先輩」
「多分、さよなら、だね」
綴と汐理の高校では、体育館の広さの都合上、卒業式に出席するのは卒業生と二年生のみで、他は卒業生の保護者や関係者とされていた。
二月もほぼ終わり、自動車学校に通う汐理が学校に来るのは後は卒業式だけだろう。図書館に来ることも、もう無いに違いない。汐理が追い込みを掛けていた筆記試験は、自動車学校の卒業後に受ける、免許の取得の筆記試験の方だったのだ。まだ仮免も取っていないと言うのになぜ、と綴が問うと、やはり汐理は「対策は早い方が良いから」と返したのだった。つまり、自動車学校の筆記の単位はさっさと取ってしまって、実技の講義に集中しようと言うのだろう。卒業を控えても、同じ制服を着ていなくても、汐理はやはり綴の知っている汐理のようだ。
結局、目の前で電車のドアが閉まってしまったため、汐理に挨拶を返すことはできなかったのだが、綴は汐理に再会することは出来ると思っていたので、特に何も思わなかった。
綴の志望校もまた、汐理と同じ国立大学だったのだから。
*****
綴が勉強室に戻ると、スマートフォンの時計は九時三分を指していた。
暇だし、灯りも落とされてしまったので真っ暗な中では勉強も出来ない。綴はスマートフォンのワンセグでテレビドラマでも見ながら時間を潰して、誰か職員が通りかかるのを待とうと思い、スマートフォンの電波状況を確認しようとした。
「あれ?」
スマートフォンの画面の上部に表示されている電波のマークには、いつも図書館で飛んでいる無料のワイファイのマークも、両親の古い機種で見かけた縦に並んだ電波のマークも表示されておらず、「圏外」と書かれていた。
「おかしいなぁ。圏外の表示なんて、修学旅行で峠を越えた時くらいにしか見なかったのに」
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