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伍冊目
「もしかすると、非常口までの道も、厳しいものになるかもしれないね」
そう言う汐理に、綴はごくりと生唾を飲む。そして、先程職員の私物入れから拝借したパンフレットの地図を見つめる。非常口などの記載はないが、それはもともとのパンフレットも同じだ。非常口への移動は、汐理の方向感覚が頼りになるだろう。
そろそろ移動を開始しようと、綴は淡い青色に変わってしまった文庫本と、本人の記憶からは消えてしまったが、プレゼントされてからお気に入りのブックカバーを鞄にしまった。スマートフォンは、バケモノ達に効くようなので、握ったままにしておく。
「そういえば、あの本から出てくるバケモノ、スマホのライトに弱いみたいなのですが、汐理先輩のスマホはありますか?」
「スマホなら、エプロンのポケットにあるよ……朝からほとんど使ってないから充電もばっちり。でも、スマホのライトが効くなんてね」
ゴソゴソと丸めたエプロンの中からスマートフォンを取り出した汐理は、そうだ、と何か思いついたように事務室の中を走っていった。
「確か、事務室の奥にある応接室に、緊急用の持ち出し袋が置いてあったはず……」
果たして緊急用のグッズを事務室内の最奥に設置しておくのは、非常時に意味があるのだろうか。そんな疑問を思い浮かべた綴だったが、汐理の後を追いかけて応接室に入っていく。
が、応接室の入口で何かに躓いた。何かと思えば、また丸くなって頭を抱えている汐理である。正面を見ると、応接室の入口から見える絵画の中身が動いていた。階段の踊り場のモノと同じく、絵画の中身は飛び出しては来ないようだ。
「汐理先輩、しっかりしてください。絵が動いているだけです」
「ふふふふふふふふふふふ、普通は絵は動かないよ!?」
「大丈夫です、既に此処は『普通』ではないですから」
「何が大丈夫なのかなぁ!?」
どうやら、綴の憧れの先輩であった汐理は、極度のビビりだったようだ。まぁ、完璧な人間などこの世には存在しないと言うのだから、少々天に何物も与えられすぎている汐理には、このくらいがちょうど良いのかもしれないが。
涙目の汐理に変わって、綴が応接室の中に入っていく。緊急用の袋は思いのほかすぐに見つかったので、中身を確認するために、手近にあったテーブルの上にぶちまけた。
淡々と緊急袋の中身を確認した綴だったが、どうやら使えそうなモノは入っていないと判断して、中身を戻していく。
袋の中と、近くには懐中電灯のセットもあったのだが、どれも電源が点かなかった。
(先程のパンフレット以外、この「図書館」にあるモノには、基本的に頼りにしない方が良いのかもしれない……)
汐理に声を掛けて立たせると、綴は非常口への案内を頼んだ。
「綴……随分と事務的に処理していくね……」
「汐理先輩がいちいちビビりすぎなんです」
「だって、こんなことって、事前の対処のしようがないじゃない」
事務室から出て、小声でそう話す綴と汐理。汐理によると、最初は児童書のエリアにある、出入口から一番近い非常口を目指すと言う。
此処の図書館では、一階の書籍のエリアとして、利用者向けに主に「一般書」、「雑誌・新聞」、「児童書」の三つのエリアに分けて案内をしている。全ての本は、貸出の際に中央にあるカウンターへ持って行き、貸出の手続きをしてもらうのだが、思わぬ本が思わぬエリアに置いてあったりするので、目的の本を探す為の「OPAC」という機械を、さまざまな場所に設置している。
児童書のエリアには、赤ちゃん向けの絵本から、だいたい小学生くらいまでの年齢層に向けた本が並べられている。その他にも、児童用の低めのテーブルや、靴を脱いで子供たちが自由に絵本などを読んだり、休日などに子供向けのイベントをやるためのお座敷のようなスペースがある。
さらに、汐理によると、奥のほうにあるので気づかれにくいが、ベビーベッドを設置して、乳幼児のおむつ替えが出来るスペースも用意されていると言う。
絵本のコーナーでは、図書館員が子供達にお勧めしたい絵本などを「面出し」という方法で、手に取ってもらいやすいように設置されている場所もあるのだが……。
やはりその面出しをされている絵本からは、あのぬいぐるみのようなバケモノ達がぞろぞろと出てきていた。綴と汐理の行く手を阻むかのように、足元でうごめいていたり、飛び上がってきたりする。
汐理はいちいち悲鳴を上げたり飛び上がったりと、リアクションに忙しそうだったが、綴は淡々とスマートフォンのライトでバケモノを照らして散開させていく。
最後に、ヘビのぬいぐるみの様なモノに絡みつかれている汐理に向けてスマートフォンを照らすと、ヘビ的な何かはスルスルと元居た場所へと戻っていく。
「汐理先輩、しっかりしてください」
恐怖で硬直したのか、白目をむいたまま涙を流す汐理に綴は淡々と声を掛ける。汐理はようやくバケモノから解放されたことに気が付いたのか、ゴシゴシとカーディガンの袖で涙を拭きながら返事をする。どうやら今回は自分の文庫本を死守出来たようだ。
「つつつつつ、綴っ、バケモノは」
「言ったでしょう、スマホで照らせば良いんですって。事前に対策すれば対処できるんじゃなかったんですか」
「そんなこと言ったって~……」
「ほら、立ってください。非常口まではまだまだでしょう?」
究極系のビビりである汐理にも、綴は容赦なく淡々と話し続ける。
汐理は諦めたように、スマートフォンを握り直し、非常口への道を辿り始める。
「児童エリアの奥とはいえ、こんなに遠いはずは無かったんだけどなぁ」
そうぼやきながら進む汐理に、綴はふと尋ねた。
「そういえば、汐理先輩。その目指しているという非常口は、ガラスのドアではないですよね?」
「え? ガラスのドアだよ。今は閉館しているから全面ブラインドで覆っているけれど……あ、やっと着いた。ほら、これが非常口……さ?」
汐理は答えながら、ブラインドを一番上まで上げてしまった。ガラス製の非常ドアに、綴と汐理が映っている。が、映り込んでいる二人は、玄関の自動ドアで綴が見たもうひとりの「綴」のように、ニヤリと笑いを浮かべる。
「そのガラスに映った私達、飛び出てくるので気を付けてくださいね」
「そんな『リアル飛び出す絵本』はいらないよ!」
綴が注意した時には既に向こう側の「二人」はこちらへと手を伸ばしてきていた。
泣きながら飛びのく汐理に対して、綴の方は、「コレは『私達』にも効くのかしら」などと呟きながら冷静にスマートフォンのライトを非常ドアに向けて照らす。
ライトに照らされた「二人」は、おぞましい悲鳴を上げながら、ジュワリと音を立てて溶けていく。
残された非常ドアには、何も映っていないガラスが残っただけだった。
「朗報です、汐理先輩。スマホのライトは、ガラスに映った私達にも効果があるようです」
やはり淡々と報告をする綴。それに対して、汐理は手近にあった壁にしがみついて何とか立ち上がるというありさまだ。
「……飛び出てきた瞬間に注意されてもどうしようもないよ……?」
「それと、この非常ドア、開けることはできますか?」
押しても引いても開かないドアに、やはり鍵がかかっていることを確認した綴は、汐理にそう尋ねる。ドアを観察しても、内側から開ける鍵のようなモノは付いていない。
「非常ドアのカギは、内側から回せば開くはずなんだけど……あれ、鍵が無い……」
ドアをチェックしていく汐理の顔が、サーッと音を立てるように青ざめていく。
「ドアの鍵自体が消えている、という感じですか?」
そんな汐理に、やはり淡々と質問していく綴。
「そうだね……本来はこのあたりに」
そう言いながら、ガラスのドアの縦に伸びた取っ手の下辺りを指す汐理。
「内側から開けるための鍵が付いているんだけど……このドアの鍵は消失したような感じになっているね」
真っ青な顔でそう言う汐理だったが、ふと何か思いついたのか、顎に手を当て思案する。
綴はスマートフォンを握りながらも、何も映っていないガラスのドアを観察している。
これ以上なにもドアに異変は怒らないと判断した綴が汐理の方に向き直ると、汐理は考えがまとまったようだ。
震えながら、汐理は結論を綴に告げた。
「もしかしたら、他の非常口も同じ状態になっているかもしれない」
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