二番手の憂鬱

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「もうそんな時間か」  低い掠れた声が背中に届く。 「ごめんね。起こしちゃったね」  振り向くと、貴樹はかろうじて開いている薄目で僕を見ていた。 「いつ見ても綺麗な背中してるな。その辺の女よりよっぽどいいぜ」  僕の顔には苦笑が滲み出ているだろう。 「それは、ありがとう。もう、時間だから行くね」  それに若干の冷たい響きを足して、僕は答えた。  ソファーに向かい、脱ぎっぱなしで放っておいたスーツを着る。 「なあ、一弥。お前、明日の夜空いてる?」  シャツのボタンをとめながら、返す声はそっけなくなった。要件は分かっているから。 「綾さんの店に付き合えっていうんでしょ?」 「正解」  短いけど、笑いを含んだ声が僕の感情を揺らす。 「いいよ。七時くらいになるけど、大丈夫?」 「ああ。大丈夫だ。俺は多分先に行ってるから」  ネクタイをカバンに押し込み、ジャケットを着て貴樹に向かい、僕は笑顔を作る。 「じゃあ、それで。ゆっくり寝なよ」 「お前も仕事頑張れよ」  見送りに来ないことも分かっているので、僕は「行ってくるね」と一声残し、部屋を後にした。  外に出ると、ワンルームマンションの狭い部屋にこもった貴樹のセブンスターの匂いの残滓が、晴れた陽を受けた空気に洗い流されていく。それが心地好くもあり、残念でもあり。  名ばかりの短いエントランスを抜けて、改めて陽を浴びながら、自然と呟いていた。 「綾さんか……」  貴樹の本命の歳上の女性。その名を一人呟く時には、どうしても拭いきれない陰りが僕を覆っしまう。 「男はお前だけだから」  そんな貴樹の自信満々の声も慰めにはならない。いや、そんな確証のない言葉にすら、実際すがってしまっている僕がいる。出会いが早かったなら、男と女関係なく本命になれただろうか。無駄な思考がいつものように流れては消えていく。 「はあ……」  そしてお約束のため息一つ。そんなものは路上に伸びる僕の影すら拾ってはくれなかった。
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