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それからよく、凪沙は時雨の家に行くようになった。
本を借りたり、勉強をしたり。ここにいれば必ず誰かがいて、それだけで異常なほど心地がよかった。
時雨はなにを相談しても快く答えてくれる。
彼の言葉は不思議で、特別な言葉ではないのに、その一言のお陰で凪沙には少しずつ学校で話す人もできた。
そして…
ふとした瞬間に、どきっとすることがある。その端正な顔立ちや、大人の考え方に。
「凪沙くんは数学が好きだね。かっこいい。
私は理系科目がてんでダメで。」
冷たい麦茶を差し出しながら、凪沙の後ろから時雨が覗き込む。
ふわり。爽やかな香にどきりとした。彼の手の触れた肩の部分が熱く感じるのは、夏の暑さのせいだけでは無いだろう。
「…答えが、一つだから…。」
「理由はどうであれ、偉いよ。」
大きな手のひらに頭が包まれて、さらに凪沙の頬は赤くなった。熱くて飲んだ麦茶の水滴がノートに落ちて、文字をぼかした。
穏やかな風が風鈴を揺らす。
ありそうでなかった日常。凪沙は幸せで。
…いつまでも続けばいい、なんて時雨に笑いかけた。時雨は少し寂しそうに笑って、そうだねと答えた。
ぽつり、外で音がして、そこからいきなり雨が降り出す。
「うわっ、雨。」
凪沙はあからさまに顔をしかめた。
「雨は嫌い?」
「じめじめするし、なんだか気分まで落ち込むし。梅雨もなんとなく嫌いです。」
「それは残念だ。凪沙くんと会えたのは、雨のおかげなのに。」
…そうだけど、でもやっぱり苦手だ。
心の中で思いながら凪沙は口を噤んだ。
強くなった雨が屋根を打つ音が、やけに大きく響いていた。
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