傘文通

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 帰宅の時間だからカフェは混んでいるだろうと覚悟していたけれど、人はまばらにしかいなかった。四人掛けのソファー席を広々と使うことができる。  リュックを向かい側のイスに置いて、ジャケットをなるべく綺麗にたたんでリュックの隣に置く。シャツの袖をまくって、さあ書こうと意気込んでペンを握った。  けれど、一文字目が浮かばない。宛名も分からないし、どんな人物かも分からないのだから当たり前かもしれないが……。  とりあえずブレンドコーヒーを注文して、しばらく紙の上でペンをさまよわせ続けた。  そうするのにも疲れて、目の前に置かれたコーヒーを一口含んで、ふと顔を上げたときだった。  そばに立っていた女性と眼が合った。彼女も気づいたばかりだったようで、黒目がちの眼を大きく見開いていた。  事務所でいつもコーヒーをいれてくれる彼女だった。満矢はすぐに彼女の名前が思い浮かばない。たしか……高田だったか。 「高良御咲(たからみさき)です。よく間違われるんですよ。……お仕事されてるんですか?」  満矢は慌てて手紙を片づけた。余計に怪しかったけれど、会社の人に見られるのは嫌だった。 「仕事だ……気にしないでくれ」 「仕事終わってカフェまで来て、また仕事をしてるなんて大変ですね。おつかれさまです。あの、もしよかったらなんですけど、相席をおねがいできませんか? 他の席はだいぶ埋まっちゃってるみたいで……」  満矢は店内を見回した。入店してからずいぶん時間が経っていたようで、席はほとんど埋まっていた。 「かまわないよ。悪いけど、そっちの荷物を取ってくれないか?」 「あっ、そっちに座るんで大丈夫ですよ」  満矢の手を煩わせないために気を使ったのだろう。手荷物を向かい側に置いて、満矢の横に座った。香水の淡く甘いにおいがした。 「さっきまで本屋に行って、マンガを見ていたら足が疲れちゃって、そのときにこのカフェで期間限定のドリンクが出てたって思い出したんです」  満矢も若者なのに、自分より少し若いだけの相手が流行の話をすると、自分が世の中に置いて行かれたような気になる。元々追いかけようと思っていないから、置いて行かれるのは当たり前のことなのだけれど。  御咲はすまなそうな声で言う。 「私ばっかり調子乗ってしゃべっちゃってすみません。私のことはお気になさらず、お仕事をしてください」 「いや、大丈夫。行き詰まっていたし、急ぐ書類じゃない」  その言葉が話し相手になってやるという合図だと御咲は受け取ったようで、小一時間も彼女の好きなマンガの話を聞くことになった。  満矢は途中、腕時計を見た。今から帰っても番組はもう始まってしまっている。リアルタイムで見たかったけれど、録画はしてあるから問題はない。いつだって予防線は張ってある。  それに御咲の話はとにかく長かったけれど、聞いていて嫌な気分にはならなかった。
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