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家に帰って好きな番組を見ながら、テーブルの上に手紙を広げてみる。
あのカフェで一文字目が思い浮かばなかったのは、相手がどんな人が想像できていなかったから。だから満矢は仮の相手として、カフェで話をした御咲を思い浮かべながら書いてみることにした。
すると、不思議なことに突っかかりなく一文字目が浮かんできた。
僕の置き傘を借りていった君へ
こんにちは。
連日の雨で洗濯物が乾かず辟易としますが、アジサイはひときわ美しく咲いているこの頃、いかがお過ごしでしょうか?
誰かは分からないけれど、この傘は常備している折りたたみ傘を忘れたときのために一応置いてあるものなので、使ってもらって構いません。
だから、メモに書いてあったみたいに、申し訳なく思う必要はありません。
また傘を忘れたときには、お気軽にどうぞ。
書き終えて封をしながら満矢は考える。この手紙はメモが入っていたのと同じように、傘の中に忍ばせるつもりだ。
ということは、このメッセージを読んでいる時点で傘を借りようとしている。
そう思うとなんだかおかしな感じがする。
傘に手紙を忍ばせてから数日後また雨が降って、傘が誰かに借りられていった。そしてやはり次の日には戻ってきた。
傘が戻ってくることを満矢は楽しみにしていた。もしかしたら、持ち主の承諾を得たことで安心して使えるようになり、メモなど書かなくなってしまうかもしれないとも思ったけれど、それでも期待してしまった。
傘を開く。
今度の落下は速かった。床にそれがぱさりと音を立てた。かわいらしい封筒の手紙だった。
置き傘をしている人へ
こんにちは。
お手紙をもらえるとは思いませんでした。
お察しの通り、何度も傘を借りることに後ろめたさがありました。でも今回も借りてしまって、手紙が入っていて、とても嬉しかったです!
天気予報を確認することをあまりしませんし、忘れ物も多いので、今後も借りることがあるかと思います。
もしご迷惑だと思われるようでしたら遠慮なくおっしゃってください。この傘に手紙を入れていただければ読みますので。
それでは失礼します。
差出人の名前は書いていない。そういえば自分も書いていなかったと、今更ながら満矢は気が付いた。だから相手も書かなかったのだろう。
会社帰りに満矢はまたレターセットを買った。
返信を書いて、またその返信が帰ってくる。そんなやりとりが何度も続く。傘を借りなくても手紙が入っていることもあった。
手紙を書いていると満矢は自分自身がこんなことを考えていたのかと意外に思う。時間をかけて考えを整理して、手紙に書いて誰かに共有してもらう。それがこんなにも楽しいだなんて思わなかった。
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