第一章 未来屋書房

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Book-5. -Hikari-        僕は一言で言うと、途方に暮れていた。  事の発端は、いつもの様に引き受けた媒介人(ブローカー)としての仕事だった。僕と兄は、異世界に渡ることの出来る力を使って、媒介人(ブローカー)として生計を立てていた。……もっとも、異世界に渡る術を行使できるのは僕だけであったのだが。  どうやら兄には魔法や魔術等といった類の能力に適性が無かったらしく、専ら僕が次元を渡るための陣を形成している間の護衛役を担当していた。  今回は、次元を渡る際に出張ってきた邪魔者たちが思いのほか多く、苦戦を強いられた。兄は自分だけを残して依頼人を送り届ける事を優先させ、僕もまた依頼人を送り届けたら兄を救出しに向かう予定だった。  そう、「だった」。つまり過去形だ。  無事に依頼人を送り届けてから再び兄と別れた世界へ戻ろうと試したのだが、どんなに探しても兄は見つからないのだ。  この「次元を渡る」ための陣を形成するには、いささか時間がかかる。魔法陣を描き、魔力を必要量注ぎ込む、繊細な作業が必要なのだ。  見知らぬ世界に取り残された兄を救う為、そして僕たち兄弟が生きていくためには、なんとしても、兄との合流が必要不可欠だと思っていた。  ところが、最近、立ち寄った酒場である噂を耳にした。  何でも、「願いを叶える本屋」があると言う。その酒場の客に詳しく聞いてみると、その客自身は訪れたことはないそうだが、どうしても叶えたい願いのある者の前に、ある日突然、書店への道が開くのだそうだ。その道はひどく幻想的で、また同時に非現実的な感覚を覚えるらしい。  店の店主は、何か特別な術か何かを用いて、その客の願いを叶えるという。  ひどく曖昧な「噂話」と言ってしまえばそれまでだが、僕は非常に興味を持った。  第一に、僕はどうしても兄との再会を望んでいる。これはその「店」とやらに訪れる資格としては十分なモノなのではないだろうか。  それに、店主が用いると言う不思議な術というのにも興味が惹かれる。魔術や魔導の類のモノを行使する者にとって、やはりそう言った力を使う者の噂は非常に気になるモノなのだ。  そして、僕の前には、件の書店であろう建物があった。  なるほど、確かに普通に街を散策していたはずが、いつの間にか幻想的な風景の街並みに入った。非現実のようなあやふや感を感じながらも、通りを奥へと進んで行く。どこの世界でも見たことの無いような形状の幻想的な形状の街灯に薄暗く照らされた石畳の通りには、生活感のない家が立ち並んでいる。どの家もやはり、そこの世界でも目にしたことの無い作りの建築様式で、一言で表すならやはり「ファンタジー」としか言いようのない見た目だ。  通りを最後まで突き進むと、最後の一軒が現れる。ここがおそらく、噂の書店だろう。通りに面した門はそれだけでも十分に威厳を放っており、本当に用事の無いものを拒絶するような雰囲気が感じ取れる。門の奥に玄関があるようで、そのドアにはめ込まれた小さな擦りガラスのようなところから、薄い灯りが漏れている。  書店と思しき建物の玄関ドアをノッカーでノックするが、中から返事のようなモノは聞こえてこない。  さて、勝手に入っても良いものだろうかと思案していると、ドアが独りでに開いた。多少の不気味さを感じながらも僕は中に入って行くことにした。  ぼんやりと明るいオレンジ系の灯りに照らされた室内は、言ってみれば「本の海」としか形容しがたい。壁一面に書架が並べられその中にはぎっしりと本が詰め込まれており、さらにそこに入りきらなかったのであろう本たちが床にも積まれている。  部屋の中央にはテーブルとイスが置かれており、その上にはまだ温かいティーポットと、分厚い書物が置かれていた。部屋の隅には上階へ上がるための階段が設置されている。  店の主は二階にいるのだろうか。しかし、店の中に自分以外の人間の気配は感じ取れなかった。  そこまで観察すると、フッと部屋全体の灯りが消えてしまう。どういうことだと一瞬錯乱仕掛けるが、すぐにテーブルの上の書物だけに、スポットライトの様に照らされる照明を確認する。店の主が魔法や魔導の使い手ならば、このような手法で導くと言うのも、確かに納得できなくはない。……接客業としては、客の前に姿を見せないこの手法も些かどうかとも思うが。  僕はテーブルに近づくと、書物を手に取ってみる。イスが勝手に動きだし、僕を席に着かせる。ゆっくりこの書物を読めという事なのだろうか。  書物を開き始めの頁(ページ)をめくる。 『貴方が此れを読んでいるという事は、僕は既にここを立ち去った後でしょう。  運命を変えるミセへようこそ』  何だか遺言めいた書き出しだ。それに、噂の内容とも微妙に異なる店の名前に困惑する。「運命を変える」とはどういう事だ?  僕はさらなる手がかりを求めて頁をめくる手を早めていく。 『此処は訪れるお客人の『物語(運命の書物)を書き換えるミセ』です。  そして、此れを読んでいる貴方は、僕の後を継ぐ次期店主となって頂きます。  此れから、このミセに関する事、注意事項等を認(したた)めておきます。  よく読んで、貴方自身の願いを叶えるために、お客人方の願いをお聞き入れくだされば幸いです。  先代店主 曜 拝』  どういうことだ。  僕は自分の願いを叶えてもらうために来たはずなのに、何故かこの『ミセ』とやらの次期店主にされそうになっている。しかも、先代の店主は既にこの場を離れているときたものだ。  しかし、気になることもある。此処に留まり、客とやらの願いを叶え続けていれば、自分の願いも叶う、というニュアンスの内容が書かれている。  さらに驚いたのは、最後に書かれていた先代の名前。僕と同じ「曜」という名前のようだ。もっとも、読み方まで同じとは限らないが。 「あぁ、新しい店主のご着任か」  誰もいないはずの空間に、誰かの声が響いた。慌てて周囲を確認すると、先ほどまでの部屋の照明が全て落とされ書物にスポットライトが当たった状態から最初の部屋の状態に戻っている。声がした方向は部屋の隅にあった階段の上からだ。良く見ると、階段の手すりに、黒い猫が座ってこちらを見ている。  猫が喋るくらい、いろいろな「世界」を渡ってきた今では今更驚かない。 「へぇ……やっぱりアイツと似てるのな。で、お前、名前は?」  黒猫は僕を品定めするように眺めながらそう聞いてくる。 「僕は曜……人に名前を聞くときはまずは自分から、じゃないのか?」  僕は掛けていた眼鏡の位置を直しながら黒猫に問う。おそらく、黒猫の言う「アイツ」は先代店主の「曜」の事だろう。どうやら先代は僕にそっくりな容姿をしていたようだ。 「オレはただの黒猫だぜ? 名前なんかない」  そのまま二階の方へ姿を消した黒猫の後を追おうと思ったが、不意にテーブルの上に置いてあった書物の頁が移動しているのが目に留まった。  移動した頁の内容を見てみる。 『度々現れる黒猫(害獣)には注意すること。関わっても碌なこと無し』  どうやらこの書物は先程の黒猫には見られない方が良さそうだ。  そう直感した僕は、書物を自分の持っていた荷物の中に紛れ込ませてから、二階を確認しに席を立った。  そして、僕は本格的に、この「ミセ」を継ぐことになったのだった。
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