9人が本棚に入れています
本棚に追加
第二章 未来屋書房―継―
Karma1.-Alice-
どうしても、見つからないのよ。必要なモノなのに。見つからないの。
どうして? どこを探しても、誰に訊いても、知らないなんて、どうして?
……あら、私、何を探していたんだったかしら?
-----
薄汚れた手袋を外し、僕は溜め息を吐く。このミセを継ぐことになってから、体感でだが数日が過ぎたものの、客らしき人物は未だ訪れて来ないでいた。
そんなミセの状況をいいことに、僕は1階のおそらくは応接スペースであろう場所の本の海を一掃している。最初は全て棄ててしまおうとしたのだが、何度棄ててもいつの間にかミセに戻ってきてしまう本達に、僕は廃棄という処分を諦めた。つまり、この建物の中に、如何にして溢れかえる書物達を「収納」するか、という孤独な戦いの最中である。
ふと、ミセの入口のドアに人の気配を感じる。が、どうやら思い過ごしのようで誰かの影もない。そもそも置き土産の様にして手に入れた書物によれば、客は必要なときにだけあらわれるという。それをどうやって知るのかまでは書いていなかったが、きっと客が来るときには何らかの兆しがあるに違いないと踏んでいる。
休憩しようと、僕は二階の簡易キッチンに向かい、紅茶を淹れる。何故か本と同じくらい此処には茶葉という茶葉が蒐集されており、元来紅茶好きの僕にとっての唯一ともいえる癒しになっている。
良い具合に紅茶が準備出来たところで、階下からドアノッカーが叩かれるような音が聞こえた。が、ここ数日の事を考え、きっと気のせいだろう、と思った僕はそのまま紅茶を楽しもうとカップを2つ取り出す。
……何故僕は紅茶を2人分も用意しようとしているんだ?
階下では、ドアの開かれる音が聞こえ、続いて誰かの足音が聞こえてくる。どうやら、初めての「お客様」らしい。
僕は2人分のティーセットを持って、階下の客人のところへ向かった。
「見つからないんです」
開口一番、客と思わしき女が口にした言葉がそれだった。何を探しているのか、どこをどのように探しているのかを尋ねてもまるで返答らしき言葉はない。ただ、「見つからない」と呟くだけ。
ティーカップの紅茶を淹れ直すこと3回目。僕は彼女が本当にこの「ミセ」の「客」であるのかという疑問を持ち始めた。
彼女が何かを探しているようなのは確か。しかし、その肝心の何かが「何」であるのかは明かさない彼女。
そういえば、まだ名前すらも訊いていない。互いにだ。
「そういえば、自己紹介もしていませんでしたね。僕は曜と言います……一応この『ミセ』の主です」
結局最初に沈黙を破ったのは僕の方で。とりあえず相手の身分を尋ねる時は己から、と自己紹介から入る。……互いに名前も知らず、ただ「見つからない」という独り言のような呟きを聴き続けながら紅茶を飲んでいたことに、今更ながら驚いた。
しかし、彼女は、僕が名乗ったことの方に驚いたようだ。
「……ココは『お茶会』の席ではないの?」
「……此処は『おミセ』ですよ。……ちょっと特殊ですが」
「私は……招かれざる客だから、ただお茶を飲んでいたのだと思っていたのだけど……」
「いえ……むしろ、この『ミセ』には、招かれたモノしか入れません」
「……私はアリス。ねぇ、この夢はいつ覚めるの?」
「夢?」
「そうよ。ここは私の『夢』の世界。『夢』から覚めなければ、私は目覚めることはないの」
彼女――アリスが何を言っているのかは良くわからないが、どうやら彼女はこの現状を自身の『明晰夢』だと思っているようだ。そして彼女はこの『夢』の中で何かを探している。
「その……お探しの『何か』を見つけなければ、『夢』からは覚められないのですか?」
「そうよ」
「でも貴女はその『何か』が『何』なのかわからない。そういうことでよろしいでしょうか?」
そう尋ねると、彼女は黙り込む。それは肯定ではなく思案するときのもの。
紅茶4杯分をかけても、彼女から聞き出せた情報はこれだけ。……これだけで、先代の『店主』達は本当に『物語を書き換える』などという芸当を成し遂げたのだろうか。
僕は紅茶のポットが空になっているのを確認して、アリスに断りを入れてから、一旦『お茶会』の席を離れることにした。
二階に上がると、作業机の上に、置いた覚えのない本が置いてあるのを見つけた。ここ数日(もっとも、このミセに来てからは昼夜の間隔がわからず、あくまでも僕の間隔の上で、だが)は、ミセ中の書物を分類し、整理整頓しようと尽くしていたのだから、見覚えのない本などあるわけはない。しかし、その本は忽然と机の上に現れていたのだった。
そしてもう一つ、普段は自分が持ち込んだ荷物の中に紛れ込ませているはずの、先代店主の遺言のようなマニュアル……何故かとある頁を開かれて、机の上に置かれている。
『空想上の存在に、このミセの力は行使できない』
置き土産のような書物には、そう書かれていた。……コレは一体どういう意味なのだろう。
覚えのない方の書物の表紙には、とある世界の言語の流暢な雰囲気の書体で「Alice」と表題がつけられている。……つまり、この本は、階下にいるあのアリスの物語なのだろうか。
開いてみると、中に書かれている文章だったと思われる文字列が見事に散開している。とてもじゃないが読めたモノではない。彼女の探し物はコレなのだろうか?
とにかく、彼女はこの『ミセ』の客であることは間違いないようだ。そして僕は、彼女が変更したいと願ってやまない『何か』を探し当てなくてはならない。
初仕事にしては、かなりの難易度だ。
僕は再び淹れ直した紅茶をポットに注ぐと、再び彼女の待つ階下へと降りて行った。
再び階下で会い見えたアリスは、先ほどとは別人のような気迫を背負っていた。ぶつぶつと何かを唱えるようにしながら俯いている。
「……アリスさん?」
僕が戻ったことにも気づかない様子で、ぶつぶつと繰り返す彼女の呟きを聞き取ろうとする。
どうやら、僕が聞き取れた範囲では「ウサギを探さないと」「猫を殺さなきゃ」「トランプのくせに」「女王はアタシ」「――(聞き取れないが人物の名前のようだ)の首を刎ねろ」「サヨナラ、キング」など、かなり物騒な内容のモノが殆どだ。
そして、かなりの難易度だと思って挑もうとした問題が、彼女の口から聞き出せたコトに安堵する。おそらく、彼女が口にしている全てが、彼女の探し物の内容だろう。……だとしたらかなり物騒なことこの上ないが。
もしかしたら、僕よりも聴覚の優れた兄ならば、彼女の呟きを全て聞き取れたのかもしれない、などと考えてみるが、今それを思ったところで兄が現れるワケでもない。とにかく今は、この「明らかに正常ではない」状態のアリスさんをどうにかしなければ。
「――ハンプティ・ダンプティは塀の上」
僕はふと、どこかの『世界』で聞いた詩を口ずさんだ。なぜこの詩が口を出たのかはわからないが、何故か彼女にこの言葉を聴かせるべきだと思ったのだ。
すると彼女は僕の言葉に反応した。ものすごい剣幕で、それまでの可憐な少女の印象が全く消え失せていくようだ。
「彼を! 知っているの!?」
「いえ、特に知り合いというワケでは……」
「アイツは落とさなきゃならない……そうよ、そうだわ……」
そしてまた彼女はぶつぶつと何かを繰り返す。先ほど聞き取れた言葉の他にも新しい言葉がちらほらと混じってはいたが、どれも意味は通じない、戯言ばかりだ。
「アリスさん、アナタの願いは何ですか? それがわからなければ、アナタはまたこの『夢』を繰り返すことになってしまう」
僕は懸命に彼女に訴えるが、アリスは全くボクの言葉が耳に入らないようだった。
しかし、このミセに入ってきたからには彼女は『客』だ。そして僕はその願いを叶えなければならない。
ふと、媒介人として『世界』を渡り歩いていた時のことを思い出す。「アリス」という名は割とありふれたもので、その名を冠した女性を目にすること自体は少なくは無かった。『世界』の住人の一人として存在していたこともあれば、『世界』の住人に広く知れ渡った物語の主人公の名であったり、もしくはその両方という事もしばしば。
――彼女はどちら側の「アリス」なのだろうか。
「ハンプティ・ダンプティ」
もう一度その名を口にする。「アリス」はこちらを向き、何かを呪詛の様に呟くのをやめた。
「この『なぞなぞ詩』では、一般的に、彼の正体は『卵』である、と言われています。大体の『世界』ではそうでした。塀から落ち、王様や兵隊たちがどんなに力を尽くしても『元には戻せなかったモノ』。しかし、『彼』の正体は本当にそれだけでしょうか?」
「……何が言いたいの?」
「僕が思うに、『彼』の正体はそれだけではないのでは、という事です」
「……興味深いわね。聞かせて頂戴?」
そう言って、淹れ直した紅茶をすする彼女は、その名の語源の通り「高貴」だ。
「僕の見解としては。『ハンプティ・ダンプティ』の正体の一つは『時』ではないかと思うのです」
王やその兵たちが、何を以ってしても戻せないモノ。確かに『卵』も塀から落ちたら戻らないだろうが、それは進み続ける『時間』だって同じだろう。もっともそれは『塀から落ちなくても』同じことではあるのだが。
そして、「アリス」の正体にも僕は薄々気づいていた。
「一人の人間として過ごした『時間』は、たとえどんな手段を以てしても戻すことはできません。たとえ書き換えたとしても、書き直す前の記録として、このミセの書物に刻まれ続けます。
アリスさん。アナタの探し物は『貴女がアナタとして過ごしてきた時間』ではないのでしょうか」
彼女の的を得ない発言の数々に混濁した記憶。そして、彼女のモノと思われる書物の中に散開していた文字列。
彼女は『アリスとして描かれるはずだった物語のなり損ない』のうちの一つなのではないだろうか。
いろいろな『世界』でさまざまに描かれてきた「アリス」の物語が、さまざまなカタチに歪み、分裂し、そしてとうとう「彼女」としての自我さえ失ってしまった「物語のなり損ない」。その具現化された姿が、今僕の目の前に座っている彼女の正体。
「見つからないの」
しばしの沈黙を経て、彼女が再び口を開いた。
「見つからなかったの」
僕は黙って彼女の言葉を聴く。彼女が口を開いたと言うことは、既に答えが見つかったということなのだろう。
「次の『頁』。先生が書いてくれるはずだった、『物語の続き』」
彼女がそう断言することで、僕の出来ることは決まった。彼女自身が「自分は物語の中の存在」だと示したことで、此処で僕にできることはもう無い。せいぜい出来たことと言えば、ただ、何かの残留思念のようなカタチで彼女が彷徨い続ける事を阻止出来たことくらいだろうか。
「私、待つわ。『物語の続き』がもう一度、動き出すまで」
そう言って笑った彼女は、晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
-----
僕は再びミセの中の書物を片づけながら溜め息を吐く。どうやらこのミセの書物は日々増え続けているようで、並大抵の技術では書架に収めきることなど到底出来そうにはない。
二階の机には「Alice」の書物が広げられていて、僕はその中身の文字列が再び、文章として、物語として復活するのを待ち続けている。
最初のコメントを投稿しよう!