かさと、つばめと、る~び~と。【PICNICAMERA 15】

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 たかが、つば九郎。されど、つば九郎。  誰かにとっての、ふなっしーのように。人ではないもののなかに棲む、自由な魂の強靭さと、柔軟さ。そして存在感と包容力。  私はディスプレイの中で自由に振る舞うつば九郎先生を眺め、その先にいる本当の自分に近づこうとした。  近代美術館の北側に、母方の祖母がひとり暮らしをする古い家があった。  祖母が長期入院を余儀なくされ、家を荒れさせぬよう、時折風を通したり、冷蔵庫や調味料の手入れをするのに通いながら、ふと、ここをシェルターにしてはどうだろう、というアイデアが湧いた。  夫に大きな不満があったわけではない。だが、祖母の家でひとりの時間を過ごしたあと、夫と暮らす菊水のマンションに帰るのが試練のように感じられた。平穏な日常という名の薄氷。極細の縫い針の上を歩こうとするような。一瞬嗚咽が漏れるのに、自分の中で何か異常が起きていることを知った。  たしかに会社では、いわれのないパワハラに悩まされていた。自分が嫌がらせを受けているだけなら、どうにかできる気がしていた。ただ、私に圧力をかけるために、上司や同僚までもが、幹部から圧迫される事態が少しずつ生まれていた。夫に秘密、というわけではないけれど、話したところで自分の心が軽くなるとも思えなかった。話すことで、これ以上面倒ごとが増えるのも嫌だ、という解釈もあった。もう限界なのだった。電気を消し、玄関に立ち、靴を履こうとしたところで、喉に締め付けを感じ、気がついたら私は自分の肩を抱きしめながら、子どものように声を上げて泣いていた。自分の置かれた状況を、自分を放置していたことを、認めざるを得なかった。  私は、この家で、しばらくの間、私だけを見つめよう。そう決めた。  会社を退職し、春の大型連休を過ぎ、ライラックのつぼみがほころび始めた頃に、ばあちゃんの家に落ち着いた。家を出ると告げたとき、夫は困惑したものの、自分に落ち度があったわけではないことで納得し、私がある種の決めごとについては貫く気質の持ち主だと理解し、許してくれた。また、祖母の家守りという事情も後押しした。  会社を辞め、妻業も休み、私はのびのびとした無所属になった。  やってみたかったことを片っ端からやってみた。  頭にフラワーアレンジメントを載せてプロのフォトグラファーに写真を撮ってもらったり、気が済むまで布団の中にいて、布団の中で食事をし、チューハイを飲み、ゴロゴロと大作漫画を一気読みした。いつか夫を誘っても断られた遊園地に行き、ウェーブスインガーにばかり乗った。ひたすらグルグル周りつづける空中ブランコのことだ。自分から溢れてくる笑い声が幼い子どものようだった。ゲラゲラと、なんの思惑もなく、段取りもない、おしっこをチビりそうな、全力の笑い。時折、こんな状況を面白がるような友だちと会い、美味しいものをごちそうになった。やや人選は必要だった。こんな不良妻、受け入れられる人は少ない。テンプレートで描くような説教なんか、私にはいらなかった。  平日昼間に出かけるゆとりは、私に景色には五感の味わいがあることを思い出させた。道を歩き、花の匂いを感じ、日差しの温度を肌で感じ、髪を撫でていく乾いた夏の風を受け入れた。時折JRタワーの展望台に上り、札幌の街と時間を眺めた。  私、どうしたい? その言葉を、誰にも聴こえない心の奥深くで、何度も何度も反芻しながら。
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