『傘』の下の東京

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『傘』の下の東京

 東京の8月は、気温30度を越える。資料集でその記述を見たとき、私はひどくびっくりしたのを覚えている。  おばあちゃんは、6月くらいに 梅雨という雨がたくさん降る期間があったと言っていた。今じゃ、一年中が梅雨だ、とも。  今の東京は、8月でも毎日雨が降る。それはもう、毎日、毎日、毎日。嫌になるくらい。  8月だけではない。東京には、一年中、雨が止む日はない。  ここ、日本東京海接地域は、毎日雨が降る。あまりに降るものだから、 旧東京23区に相当する部分を覆い尽くす、巨大な『傘』を建てた。皇居前公園は『傘』を支える太い柱によって無くなった。柱を中心に、東京タワーまでを覆う高さのある、とても大きい『傘』が放射線状に骨組みを張り、黒く塗りつぶされた布が空を覆う。この、とても、とても大きい『傘』の下に人は住む。  黒い『傘』の保護下から見る空ーそもそも空なんて見えていないがーは、昼間でも、かなり薄暗い。日光が入らないのだ。さらに、常に雨が降るのだから、気温も上がらない。一年中梅雨なんて、肌寒い日が続くだけで、いいことなんてない。  そして、何よりも、 私は、太陽を見たことがなかった。私のように、生まれてから十数年しかたってない子どもたちは、『傘』の下で生まれて、「傘」の外に出ることを禁じられている。私は、『傘』の下で一生を終える運命らしい。  そんなのは嫌だ。勝手に決めるな。雨は、この『傘』の上……旧東京23区上空にしか降っていないという。『傘』の外は、雨は降ってないのだ。 理由は、誰も教えてくれない。  太陽が見たい。日の光を浴びてみたい。いつの間にか、私の心のほとんどを占めて膨らんでいく、太陽に対する憧れや情景。渇きに対する……渇望。  だから、私は。 「明日、『傘』の外に出てみようと思うんだ!ユリ姉!」 「そっか、あんた明日で15歳だっけ」  従姉妹のユリ姉は、10も年上だが私の幼なじみである。東京海接地域『傘』監理局中央管理課という、エリート中のエリートコースで働いている。  忙しそうにしているけど、こうしてたまに遊んでくれるとても優しいお姉さんだ。ユリ姉は、私の部屋に家主のように居座って、私のゲーム機でバッコバッコ敵を倒している。 「ずっと、太陽が見たいって言ってたもんね」  子どもは『傘』の柱から半径10キロ圏内にいなければならない。このエリアから出たら、すぐ捕まって半径10キロ圏内に強制連行だ。  考えてもみてほしい。10キロしかないのだ。言ってしまえば、10キロなんて歩ける距離に含まれる。好奇心旺盛な子ども時代を過ごすにはあまりにも狭すぎた。  そのエリア制限が15歳の誕生日を迎えると、なくなる。半径10キロの世界を 抜けて『傘』の下ならどこにでも行けるようになるのだ。まるで、大人になるみたいじゃないか。  私はずっとこの日を楽しみにしていた。そして、15歳の誕生日の日に、傘の端に行って、あわよくば『傘』の下から出て、太陽を見てこようとずっと決めていた。  ユリ姉は、懐かしいものを見るような目をしながら微笑んだ。 「行ってきなよ。太陽が見れるといいね」  ユリ姉の機嫌がいつもより良さそうに見えた私は、少し踏み込んだ質問をしてみる。いつも、大人に聞いたらはぐらかされる質問を。 「ユリ姉は太陽見たことあるの?」 「……あるよ」  ユリ姉は、しばらくなんと言おうか迷ってから、答えた。 「どうだった?おっきかった?キラキラしていた?やっぱり暖かいの?」  画面の中で、ユリ姉がゾンビを撃ち殺している。ユリ姉はなんと言うのかな、私の心臓は、銃よりも大きな音を立てていたと思う。  最後の一匹を倒し終わったと同時に、ユリ姉は振り返り、にやりと口角をあげた。 「それは、大人のあたしが言えることじゃないな」 「けち。大人のばーか」  ははは、と適当にごまかしながら、ユリ姉はゲーム機の電源を切った。部屋のドアを開けて、ユリ姉は部屋を出ていく。  ユリ姉は、気を付けてとか、知らない人についていくなとか、一通りの注意をしてから、一言だけ置いていった。 「明日、傘を忘れずにね」
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