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 ──志岐航(しきわたる)が所属する劇団「トイボックス」にはひとつの不文律がある。 「──志岐! そこ違うって確かこのあいだも言ったよな!」  演出を兼任する主宰の久遠(くどう)の口から、その本日第一声が飛び出した瞬間、それまで固唾を飲んで志岐たちの演技を見守っていた劇団員たちのあいだに、ほっと弛緩したような空気が漂うのが分かった。  そして、それは同時におのれの連敗記録更新をも意味しており、あまりの不甲斐なさに志岐はその場に立ちつくしたまましばし歯噛みする。 「──残念だったな、ひよっこ。せっかく今日こそはあと少しでいけると思ってたのに」  と、さらに追い打ちを掛けるがごとく背中に投げつけられた皮肉に、今が稽古中であることも忘れて志岐は振り向きざま思わず声を荒らげた。 「……だから、そのひよっこはやめてくださいって何回言ったら分かるんですか、烏丸(からすま)さん!」 「ふん、ひよっこをひよっこと呼んで何が悪い。悔しかったら、早くこの場面を久遠の叱責なしにこなして、俺やほかのやつらに迷惑を掛けないようにするんだな」  そう言って、先輩劇団員である烏丸修平(しゅうへい)がさも嫌味たらしく唇を歪めて志岐を嘲る。今や活躍の場を舞台だけではなくお茶の間やスクリーンにも広げ、その渋めのルックスと確かな演技力から名脇役の名をほしいままにしている二十年選手の彼からしたら、まだ本格的に芝居を始めて一年ちょっとの志岐は確かにひよっこだろう。そしてここ数日、おのれのせいで稽古の進行が遅れがちなことも自覚しているだけに、そこを指摘されるとぐうの音も出なかった。
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