傘と共に行ってしまう

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傘と共に行ってしまう

その傘は1度だけ晴れた日に家から出て… それからはずっと母の手の中にある。 1度しか使われていない… というより一度外に出ただけで実際には1度も使われた事のない傘だ。 雨ではなく晴れた日に1度しか外に出ていないその傘の柄は大きくゆがんでいる… その柄のゆがみこそが僕と母さんが話さなくなったキッカケでもある。 僕の弟は…今はもういない。 弟がいる頃は今とは違い家族で楽しく会話のある家だった。 弟は… 「行ってきまーす」とあの朝、僕に言ってそれっきり話せてはいない。 家に帰って来た時にはもう話す事の出来ない状態だった。 あの日指定の傘を嬉しそうに持って笑顔で出かけたきり… 弟はこの世からあの世へ行ってしまった。 あの元気な「行ってきまーす」は今でも頭から離れない。 一人になるとふと考えてしまう。 あの朝、弟はいつもにもまして大きな声で「行ってきまーす」と言った。 まるでこれから本当に遠くへ行ってしまうのを知らせるかのように。 あの時僕も一緒に家を出て一緒に行けば良かったのでは? 何でそんな笑顔なの?傘が嬉しいの?幼稚園は楽しいの?なんてもう少し… あとほんの少し話をしていたら… なんて、色々と考えてしまう。 そうしたら母さんも… その時にはいつも自然と涙がこぼれ落ちてしまう。 もう独りぼっちでどうしようもなく 声が出る訳でもなく、ただただとめどなく涙があふれてしまうのだ… 自分でもこの涙は良く分からなく悲しいとも違う、痛みや僕が知っている度の感情とも違う理解できない涙なのだ。 ただただ溢れてくる。
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