雨が降ったら、手を取って。

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人は雨の日に寂しさを感じるものなのでしょうか。 私は雨の日に一人ぼっちだったことがない。誰を待つでもなくただ雨宿りをしていれば、必ず誰かが私の手を取ってくれた。彼らはまるで約束でもしていたかのように私の前に現れ、私がここで待っているのを知っていたかのような顔をして私の手を引いて行くのだ。 私は普段、どちらかというとモテない方だ。特別に綺麗なわけではないし、人目を引くようなお洒落な服も着ない。かといって極端に容姿に自信が無いかと言われると、そういうわけでもない。見た目は自分なりに整えるようにしているし、服の趣味にしても派手な服を敬遠しているわけではなく経済的でシンプルな服の方が性に合っているだけだ。特別に綺麗ではないが悲惨でもない。要するに普通。地味で目立たないのだ。私によく似た姿は、毎日街中でよく見かける。 けれど雨というものは、人をよっぽど寂しい気分にさせるものらしい。私のように地味でも、雨の日になれば誰かがどこかへ連れて行ってくれるのだ。行先は無難に喫茶店やレストラン、バーなどが多かった。緊張せずに過ごせるラーメン屋も案外好きだった。話題の映画やクラシックのコンサート、美術館に連れて行ってくれたこともあった。 電車に乗って知らない街へ連れて行ってくれる人もいた。時には…家まで行くことも。 こんな時間、なんとも刹那的だとは思っていた。けれど私は、誰かと過ごせるそんな時間が好きだった。そんな時間をくれる雨の日が好きだった。地味で目立たない私でも、誰かが必要としてくれている気がするから。誰かと一緒にいられるから。そんな時は、私も寂しさなんて感じなかった。この時間がずっと続いて欲しいと何度も思った。 そんな期待が、もう何回裏切られたことだろう。 私が必要とされる時間は、決まっていつもそう長くは続かないのだ。 彼らは突然現れて私の手を取り、思い思いの場所に連れて行く。そしてしばらくすると私のことを置き去りにしてどこかへ行ってしまうのだ。飲食店に置いて行かれることなんてよくある話で、電車の中や知らない街に一人で残されたこともあった。もう何度も。そういう時はなぜか、決まって雨が上がっていた。 彼らは明日には私のことなんて忘れてしまうのだろう。私がまだそこで待っているなんてきっと夢にも思わない。彼らが私に声をかける理由は知らない。雨の日の寂しさに耐えられなくなったからなのか、ただの気まぐれなのか、それとも何か他の理由があるのか。結局はどうせ、彼らには他に本命がいるのだろう。私より綺麗で、お洒落で、大切にしたくなるような。彼らの本命はどんな子だろう。教えてくれたことは無いし、聴いたこともない。あまり知りたいとも思わない。 最初の方はそんなことがあるたびに辛い思いをした。どうして誰も私のことを一番にしてくれないのだろう、大切にしてくれないのだろう。そんなことばかり考えていた。 けれどそのうち気が付いた。その場凌ぎの相手ならば、むしろ私みたいなのの方が良いのだ。特別に綺麗でもなく、可愛くもない。だからかといってみすぼらしくもない。特徴がないから愛着が湧くことがない。私に好かれたいとも思わないから嫌われたって構わない。だからいらなくなったらそこでさようなら。要するに誰でもよかったのだ、彼らは。私でも、私じゃなくても。 だから私はもう期待しないことにした。私を選ぶ人とは、どうせ今日これっきりの関係。そう割り切るようになれば、案外楽だった。雨が降る日に誰を待つでもなく静かに立っていれば、誰かが私の手を取ってくれる。そうなれば一時は寂しくない。誰でもよかったのは、私だって同じだったのだ。恋心なんてもうとっくに忘れていた。
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