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木漏れ日
なんでも無い街並みが、整然と並んでいるだけの平凡な景色といっていい。
取り立てて特別の美しさや派手さがあるわけではなく、どちらかと言うと地味なほうかもしれない。
いつからか、この窓からこの景色を眺めて飲む珈琲が唯一の楽しみになった。
もちろん、景色だけなら取り立ててここでなくてもよかったのかも知れない。
自分流儀、自分好みとしか言いようがない。
オーダーを通してから、徐々に立ち上るコーヒーの香りと木漏れ日のアンサンブルが気に入っていると言うことだった。
ユラユラ揺れる新緑から溢れる光が、記憶の奥底のなにかを揺さぶるのだ。
それは、記憶や思い出ではないのかもしれない。
夢のように心地良く気持ちが洗われるから、知っていたと思っているだけかもしれない。
ここを訪れる時は、いつもこの席が空いていたと思う。
そして決まって、適当な日差しがあって気持ちいい。
目の前のフルオープンになる窓は、ほとんど全開で、中に居ながら外のような曖昧な空間だから好きなんだと思う。
その上、他に誰もいないし、通りを通る車も人も見当たらない。
そんな勝手な条件がうまく計ったように揃うこと自体が現実離れしていると言ってもいい。
時間の感覚もないし、変な生活感もない。
リアリティがないようである、そんな場所だった。
コーヒーの香りに合わせて味覚も蘇る。
どこを見るでもなく、何気に光の先をボォッと眺めていた時、カランコロンと扉を開ける音がして、誰かが入って来た。
わがままな設定とはいえ、もうすこしこの感覚に酔っていたかったのに、邪魔が入ったようで面白くなかった。
見るでもなくその侵入者へ視線を向ける。
特別な道具立てにやってきたその侵入者は、斜め前の席にゆっくりと座り、洗いざらしのデニムの尻ポケットからカバーの付いてない文庫本を取り出して、少し俯きかげんで読み出した。
こちらから眺めると、そこは絶妙の添景になる位置だから、本来なら障害物になるはずである。
ところが、添え物であるはずの彼女が、主客転倒して主役のキャストになっていた。
それまでの風景が、一転して舞台装置の背景になった。
木漏れ日が反射し、柔らかそうな髪はキラキラ光っていた。
まるで、古いフランス映画の一コマを見ているようで、このまま時間が止まればいいのにと思った。
邪魔になるどころか、お気に入りの景色にマッチするシチュエーションはないと言うくらいのバランスは神技だった。
それが、彼女を発見した日の一瞬だった。
それから、僕のお気に入りはその景色ではなくて、彼女になった。
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