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レンタル傘 始まってました
下駄箱から靴を取り出し、さぁ帰ろうとしたところで雨は急に降り出した。
外に広がるコンクリートは水玉模様を描いたかと思えば、瞬く間に濃いねずみ色に染まりきってしまう。
「まじかよ。傘持ってきてねぇよ・・・・」
今日は雨が降るなどと言う予報だっただろうか。
いやそもそも天気予報を気にするという習慣が俺には無いので、予報がどうであろうと、朝出かけるときに雨が降っていなかった時点でどうせ傘は持って来なかっただろう。
この雨は直ぐに止むのかそれともしばらく降り続くのか、自分のスマートフォンにそういう情報が見れる天気予報系アプリが入っていただろうかなどと考えながら、俺は下足を片手に立ち尽くす。
「うわ。めっちゃ降ってるね。傘持ってなーい。最悪」
後ろから俺と同じような状況に陥った女子の声が聞こえてくる。
振り返るとその女子はクラスメイトの鶴瀬七海だった。
「これってすぐに止むのかな」
俺は鶴瀬へなんとなしに聞いてみる。
「知らないよそんなの・・・・って何あれ」
鶴瀬が指さした方、下駄箱の隅へ目を向けるとそこには大きな水色のゴミ箱があり、中にはビニール傘が二本刺さっている。
即席の傘立てのようだが、何やら張り紙がしてある。
“レンタル傘 ご自由にお取りください 次の朝に要返却”
中のビニール傘をよく見ると、それはどちらも新品で綺麗に細く巻かれたままだった。
「やば。神じゃん。借りちゃおうっと」
そう言ってためらいなく鶴瀬は一本を抜き取り、外に出て傘を広げた。
「いや普通に傘だよこれ。誰だか知らないけど超ありがとうー!」
外ではしゃぐ鶴瀬と最後の一本となった足下のレンタル傘を交互に見やりながら、ほんとに借りていいのかと俺は迷っていた。
「借りちゃいなよ。ご自由にって書いてあるんだから」
確かにご自由にとは書かれているし、ちゃんと返せば特に問題はないのかもしれない。
「じゃあ最後の一本借りてくわ。誰だか知らないけど、感謝します」
俺は新品のビニール傘を抜き取り、外へ出る。
そこでふと背後に視線を感じて振り返ると、下駄箱の陰からこちらを見る一人の男子生徒と目が合った。
クラスメイトの藤田だった。
「あ、もしかしてこの傘使いたかった感じ?」
俺が聞くと、藤田は少しびくりとして、無言で首を大きく左右に振った。
首を振って乱れた眼鏡を手で押し上げながら、藤田はそそくさと隠れてどこかへ去って行った。
「藤田くんだったね。私、藤田くんと話したこと無いかも」
「あぁ。考えてみれば俺も無いかも」
「藤田くんって何考えてるかよくわかんないし。てか、声すら聞いたこと無いかもしれない!」
「さすがに声は・・・・ってどうだったっけ」
言われてみれば、話したことはおろか声を聞いたこともないかもしれないと思い始め、藤田が普段学校でどう過ごしているのか振り返ってみれば、彼はいつも一人で過ごしているような気がした。
「そういえば、藤田くんって今月末で転校しちゃうらしいよ」
唐突な鶴瀬からの新情報によって、俺は記憶の世界から一気に現実へと引き戻される。
「え、マジで?」
「マジです。それじゃあ、私こっちだから。じゃあね洋斗。また明日~」
そう言うと鶴瀬は俺に背を向け、雨の中を歩いて行ってしまう。
ゆらゆらと揺れながら遠のいていく鶴瀬の肩甲骨辺りまで伸びた黒髪を俺はぼんやりと眺めながら、藤田が転校するという情報をこれまたぼんやりと頭の中で再確認していた。
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